長崎・
野崎島/小値賀島

鉄川与助の教会

を訪ねる






野崎島・小値賀島



  • 鉄川与助とド・ロ神父



    野崎島の旧野首教会。

    なぜこの教会に、これほど心惹かれたのか、理屈では説明できない。
    以前から、切に訪れてみたい場所だった。

    長崎の外海に残るド・ロ神父の教会。
    出津教会は白く美しく、外海の町を見守るように立っている。
    この教会を訪れたとき、また言葉では表しづらいが、感銘を受けた。


    長崎外海・出津教会


    見た目はヨーロッパの豪壮なゴシック教会よりも遥かに質素だが、
    日本の伝統を重んじた設計思想。建てた人の精神や、外海の人々への想いが伝わってくるような、
    そんな素晴らしい建物だった。

    ド・ロ神父の人となりについては外海の旅行記でも触れているが、
    外海の貧しい人々を救い、村民たちの文化の発展に力を入れた、
    人類愛の精神に満ちた、尊敬すべき人物だった。
    また、おおらかで快活で、皆から親しまれていた。

    そんなド・ロ神父を慕い、神父から直接建築の指導を受け、
    またその精神を引き継いだのが、鉄川与助だった。


    長崎大浦天主堂・大司教館(ド・ロ神父設計、鉄川与助施行)



    鉄川与助はド・ロ神父と同様、周囲から慕われる人格者となり、
    建物の資材の選別を重視し、後世の育成にも力を入れ、
    また一つ一つの仕事を丁寧に行った。

    鉄川与助が手掛けた教会群には、そんな氏の精神性が籠っているように感じられる。
    素朴で堅実な作りながら、厳かで土地に根差した、調和する外観を持つ。

    そんな氏の建てた教会の中で、写真を見て最も惹かれたのが
    野崎島に建つ旧野首教会だった。

    野崎島は、五島列島の北に当たる孤島だが、
    その一部に、外海の隠れキリシタンが移住して集落が形成された。
    外海地区もそうだが、ここ野崎島も険しい地形をしていて、
    平な土地は殆どない。丘陵を切り開いた僅かな土地での生活は、
    決して楽なものではなかったに違いない。

    明治時代になり、野崎島の信徒も「信徒発見」の翌年に大浦天主堂を訪れる。
    が、そのあとの「浦上四番崩れ」から続き、野崎島の信徒も弾圧され、平戸に投獄されてしまう。
    その後、諸外国の圧力により信仰の自由が認められると、
    ようやく信徒たちに安息の時がもたらされた。

    そんな信徒たちが費用を工面して、明治40年に建てられた教会が、鉄川与助が手掛けた
    最初のレンガ建築、「旧野首教会」だった。


  • 小値賀島→野崎島

    この野崎島へのアクセスは、これまで旅した中でも難易度の高いものだった。
    野崎島へのアクセスは必ず小値賀島を経由する必要があるが、
    小値賀島からの定期便「はまゆう」は一日一便、
    往路は朝7時台に小値賀→野崎島に向かう便と、
    復路は15時台に野崎島→小値賀に戻る便しかなく、
    小値賀島に15時に戻っても佐世保へのその日の定期便はすでにないため、
    小値賀島へ前泊と当日泊の2泊をする必要がある。



    ただ、詳細は後述するが、小値賀島は単なるターミナルではなく、
    古きよき時代のノスタルジックな郷愁が残る、味わい深い島であるため、
    2泊することもまったく問題にならない。


    ここでは古民家ステイをすることもできるため、ぜひおすすめしたい。
    外観は昔のままに、内装も古いものを活かしつつ、徹底的に
    住みやすいように作られている。





    日本の原風景が残る島で、その雰囲気にどっぷりつかるのもいい。
    また、不安な点も現地のおぢかアイランドツーリズムがサポートしてくれるため、
    安心して旅行できる。





  • 野崎島

    さて、はまゆうから野崎島の港に上陸すると、そこには廃村が広がる。
    原型を留めるもの、倒壊して形跡すらわからないもの、様々ではあるが、
    石垣には蟹が住み着き、野草が生い茂り、廃村は静かに自然へと還ろうとしている。



    野崎島は南北で二つの島がくっついたような形状をしていて、その接合部の
    窪みにわずかになだらかな丘陵があり、そこに旧野首教会が、集落を見守るように静に建っている。



    港から教会までは徒歩で20分程度、その道中は山道を登り、集落を見渡せる絶景ポイントがある。
    また、至るところに野生の鹿が住み着いているため、舗装された道を歩く最中でも、
    鹿がこちらの様子をうかがっていたりする。



  • 旧野首教会



    教会は石垣の上に聳えているため、城塞のような雰囲気がある。
    長年、この場所を訪れたかったため、万感の思いで教会へと近づく。



    教会は厳かに佇んでいた。
    正面両端に百合の飾りがあるのが特徴的な、イギリス積みのゴシック建築。



    上空には烏が舞い、十字架の上にも留まっていたが、訪問者が近づくと、逃げるように飛び去っていく。
    この教会は、わずか17戸の信徒が35年間厳しい節制して貯めた資金を使い建てられた、
    この島にとって祈りと願いが託された場所。
    建築にかかわった人夫たちも、こんな小さな集落にこれほど立派な教会が必要なのか、
    代金はちゃんと支払われるのだろうか、と疑ったほどだったという。



    それから70年後には、時勢の波には抗えず、この教会も無人になってしまう。
    それが無常で残酷なことにも思えるが、この教会はそこで役割を終えたわけではなく、
    いまもこうして、無人となった集落の上に佇み、その存在意義を訪れた人に問うている。



  • サバンナ(通称)



    野崎島には、雄大な自然が残っており、国立公園にも指定されている。
    港近くの集落から沖ノ神嶋神社神官屋敷の方面に行き、さらに細い道を登っていくと、
    サバンナと呼ばれている赤茶けた広大な台地へとたどり着く。
    ここは教会周辺とは一変し、野生の世界が広がる。





    鹿の群れがそこかしこに見られ、こちらが立ち入ると、彼方にいる鹿も一瞬こちらを警戒する。
    ここは一体、どこの国だったろうか。こんな大地は、日本では滅多にみられるものではない。
    港から最短で10〜20分ほどでたどり着けるため、ぜひここも巡りたい。

    野崎島への上陸時間は十分にあったはずだが、帰りの船に乗るのが名残り惜しく、
    そして行った傍から再訪したくなるような、そんな島だった。



  • 小値賀島の路地裏

    野崎島から小値賀島に戻ったら、小値賀島の路地裏探索を勧めたい。
    風情ある昔ながらの路地裏が随所に残っていて、お気に入りの路地裏を探すだけで楽しめる。





    小値賀島は「あいさつの島」という別称がある。
    島で子どもたちとすれ違うと、ほぼ確実に挨拶をしてくれる。
    その姿がなんとも素朴で郷愁を誘う。

    野崎島は、小値賀島の人たちに愛され、島民の尽力により保護されている。
    どちらの島も異なるノスタルジックな魅力があり、心に焼き付いて残り続けるから、また再訪したくなるのだろう。

    ついに念願の場所に行けた満足感と、名残り惜しさを胸に、島をあとにした。




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