ショップを開設しました。ペーパークラフトを販売しています。
東急ハンズWEBショップ「Hands Gallery Market」でもオリジナル・ペーパークラフトを取り扱い中
富岡製糸場の
ペーパークラフト
/旅とクラフト
主に、旅先で手に入れた、旅先ゆかりの模型などを紹介します。
また、街並みや景観を再現したペーパークラフトを制作、公開します。
富岡製糸場のペーパークラフト
富岡製糸場
富岡製糸場
は急ピッチに建設された。
当時、世界最大だった工場施設は、わずか50日で設計図が作られたという。
設計技師のバスチャンは、富岡製糸場を手掛ける前に横須賀製鉄所を手掛けており、
それの焼き直しをして富岡製糸場を設計したため、それほどの短納期でできたようだ。
建設の議が出されてから完成まで2年という短納期で
これだけの規模のものを完成させたのには、それだけ急がなければならない事情があった。
それは、当時の貿易事情が大きく関係する。
江戸時代末期にかけて、日本が開国した時点での輸出総額のうち、実に6割以上が蚕糸類の商品だった。
これは今では考えられない割合だ。
そんな、輸出産業では最重要な商品であった蚕糸類は、まさに金の卵でもあったが、
同時に各地でバラバラに生産され、品質もバラバラで劣悪なものも市場には出回っていた。
そんな状況下で列強諸国は資本介入し、西欧の技術で品質向上をさせようと企てたため、
それに便乗し植民地化されることを強く恐れた新政府は、早急に近代的な設備で生糸の生産を行うことを決めたのだった。
そんな、国威をかけて作られた(当時)世界最大の工場は、
官営から民営の手に渡り、1987年にその役割を終えた後も、片倉工業により
建物が守られたおかげで、当時の姿の多くを遺したまま、世界遺産となることができた。
上に越し屋根のついた繰糸場。これは当時、蒸気で動いていた機器が大量に水蒸気を吐くため、
蒸気を抜くために作られた。また、外観は二階建てのようであるが、
中に入ると一階立ての建物だとわかる。これは、
自然の採光が入るように、高い位置に窓を設置したため。
富岡製糸場には巨大な繭倉庫が2棟も存在するが、
これほどの量の繭を確保しなければならないのにも理由があった。
現在では養蚕は年に5回程度行われ、年中繭を確保できるが、
明治の初頭は年に一度しか行われておらず、その一回で
一年分の生産量を確保しなければならなかったことから、これだけの規模の建物ができたようだ。
今回は、2014年に世界遺産に登録された、富岡製糸場の繰糸場と繭倉庫のペーパークラフトを作成しました。
越し屋根のついた繰糸場と、富岡製糸場の代名詞的な建物の繭倉庫。どちらもその役割に最適な形状をしています。
どちらの建物も実際は奥行きが倍以上もありますが、手頃なサイズにデフォルメして再現しています。
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