伊勢の昔町

を巡る






伊勢の昔町(古市、河崎、二見)を巡る旅



  • 伊勢神宮


    伊勢神宮の式年遷宮。
    この世界的にも独自の習慣により、神宮では古来の伝統的な建築が引き継がれてきた。
    この建物は、拡張したり、華美になったり、形状が見直されたりもせず、
    ただひたすらに、20年ごとの再建を繰り返してきた。




    どんな建物もいずれは朽ち、永く残したい建物は
    再建されたり補修されたり復旧されたりするが、
    その時代の背景により改築されたり、変更されたりして、
    在りし日の姿のまま残り続けることは不可能となる。



    しかし、伊勢の式年遷宮が続く限り、
    空間は20年ごとにリセットされ、永劫に続けることができる。
    江戸時代に流行したお伊勢参りの人々が見たものと
    ほぼ変わらないものが残っているし、これからも何百年と残り続ける。

    この周期により、必然的に伝統技術の継承が行われ、
    世代交代も円滑に行われる。
    文化を永続的に残す手法として、優れた手法といえるのかもしれない。



    そんな伊勢神宮をこよなく愛したのが、客観的な視野をもって
    日本文化を再評価してくれた、ブルーノ・タウトだった。
    タウトは京都の桂離宮の持つ簡素で機能的な美しさを高く評価し、
    純真・清新・簡素の美しさは伊勢神宮の伝統を相承すると評した。
    記録に残るだけで1300年間は続いている式年遷宮。
    そこには原始日本文化の極地に達した建築が引き継がれている。

    西洋文化の建物の美は、絢爛豪華の美、装飾の美によるところが多く、
    もちろんそれはそれで素晴らしいものが多々あるが、
    タウトはそれとは真逆の「美」を日本文化の中に見出した。
    「最大の単純のなかに、最大の芸術がある」
    それがタウトの遺した言葉である。



    神明造の社殿は、はるか太古の弥生時代の高床式穀倉を起源とし、
    その作りは質素で無駄のないことがわかる。
    そして、正殿に入ればその厳かな空気に身が引き締まる。

    時代が変わり、古き建物が失われ、街が一新され、人々の価値観が
    移り変わっても、日本という国がある限りは、伊勢神宮はいまと変わらぬ姿のまま、
    いつまでも残り続ける。
    そこには人々の努力と伝承が必要になるが、誇るべき文化であることに変わりはない。

  • おはらい町・おかげ横丁



    門前町のおはらい町、おかげ横丁の賑わいは大そうなものである。
    戦後の経済成長期には、いまとは全く違い、昔町のような景観は失われていた。
    当時の参拝客はバスなどで直接内宮まで行って、そのまま帰ってしまうため、
    門前町に足を運ぶ人は少なくなっていた。
    そんな町の状況を危惧し、先陣を切って町の再開発に乗り出したのは、
    地元きっての老舗、赤福だった。
    それから伊勢の伝統的な町並みを復活させる活動の機運が高まり、
    いまの活気あふれる門前町が復活した。



    おかげ横丁は、赤福社長の尽力により築かれた、
    昔町の一大テーマパークのような場所である。



    おかげ横丁の名前は「お陰参り」から文字られているが、
    お陰参りが果たした役割の大きさは、計り知れない。
    江戸時代、お陰参りの旅をしたいといったものを咎めてはならないという風潮になり、
    それまで縁のなかった身分の人々も続々とお陰参りをするようになった。
    貧しい農村はお金を出し合い、代表者を決めて伊勢へ旅立った。

    様々な地域、様々な身分の人が一同に伊勢に集まり、
    様々な情報交換や、技術の伝搬も行われた。
    伊勢で仕入れた流行や最新技術情報を手土産として各地の農村に持ち帰る。
    こうして、全国的に文化を共有できるに至ったという。
    お伊勢参りは、いわばマスメディアのような役割も果たし、日本全土の伝統や技術を育む礎ともなった。


    古市

    古市は、外宮と内宮の中間ぐらいにある、かつての花街である。
    その花街の規模は大きく、江戸吉原、京都嶋原と並び、
    三大遊郭の一つと言われたほど。
    聖と俗は表裏一体。人々は伊勢参拝後の「精進落とし」と称して
    この場所を訪れた。






    この場所の遊女たちは、吉原などの遊女とは
    少々扱いが違ったようだ。
    東北や関東地方などでは特に、「身売り」として、ネガティブな理由から
    遊女となるものが多かったが、
    古市は云わばセレブが住むような場所だったらしく、
    たとえ遊女でも「古市出身」といえることが名誉であったようだ。



    そんな古市には、伝承となる物語が幾つか残る。
    歌舞伎の「油屋騒動」の演目として知られる事件は、
    お紺という若い遊女を巡る、
    痴情のもつれから起こった殺人事件だが、
    伊勢参りに来た全国各地の参拝客により、
    瞬く間に全国的に知れ渡った。
    そして、事の発端となった遊女、お紺をひとめ見ようと
    大勢の客が油屋に押し寄せ、油屋は大繁盛したというのだから、
    なんとも皮肉なものである。




    そんな栄華を誇った古市も、現在ではその面影はほとんど遺していない。
    唯一、当時から料理店として繁盛した「麻吉旅館」がいまに残るが、
    この旅館を見るがためにこの場所を訪れる価値がある。
    宿は坂道の立体的な地形を活かして建ち、不思議な空間へと誘う。
    ここはおはらい町・おかげ横丁のように脚色・演出されておらず、
    ひっそりとしながらも、堂々と、在りし日の面影をいまに伝える。



    「麻吉旅館」へは三交バス「中之町」からもアクセス可能だが、
    近鉄「五十鈴川駅」からも徒歩で10〜15分ほどで行くこともできる。
    外宮から内宮へ向かうバスも近くを通るため、途中下車して立ち寄ることもできる。

  • 河崎

    伊勢河崎には、驚くほどの規模の昔町の景観が残っている。
    伊勢神宮参道の町並みの中では原風景に近く、いい意味で期待を裏切られた。



    お伊勢参りは時代を超えて、たびたび一大ブームとなる。
    江戸時代に取り分け大きなブームが起り、
    文政13年(1830年)には半年で460万人(当時の全人口の5、6人に一人)が伊勢に訪れたという。
    また、伊勢神宮に向かう途中の宮川を渡る人の数が1日最高で23万人いたという記録が残っているらしい。

    これがどのような数値かというと、現代の某アミューズメントパークの平均入場者数でも、これほどの規模にはならない。
    現代の物流スピードでも、これだけの来客があったら、もてなすのは大変なこと。
    それが江戸時代当時だったらどのように賄われていたのか、想像することも難しい。
    そんな江戸時代の伊勢の物流を支えていたのが、ここ河崎だった。



    現在の河崎のまちづくりの指針として、
    「伊勢市河崎地区のまちづくりは、観光客が大勢集まるまちではなく、
    住民が住んでいて愛着と誇 りを感じられるまちを目指している。」と明記している。
    この指針には大きく共感できるし、事実観光地として造られ過ぎていない景色が実に心地よく感じられた。

    神宮の御正殿が平入り造りだったことから、同じでは畏れ多いという理由で
    妻入りの町屋が形成され、また世古と呼ばれる細い路地が走る。
    屋根もソリ、ムクリ、真直ぐの多様な形状が見れる。



    河崎に来たらぜひとも立ち寄りたいのは、伊勢河崎商人館。

    伊勢は日本で始めての紙幣が発行された場所。
    1600年頃に伊勢山田の商人が、金貨や銀貨など額面の大きい貨幣の
    お釣りのかわりに渡していたのが、「山田羽書」。
    その紙幣も、商人館の中で拝見できる。
    全国から人と物資と金銭が集まる伊勢ならではのもので、全国でも使える商人札として広まった。
    また、奥行きのある豪商邸で、中には多数の酒蔵も建つ。
    蔵が立ち並ぶ姿こそが、伊勢の物流を支えた河崎の町らしい姿となるだろう。







    伊勢河崎商人館はかつて、江戸中期に創業した酒問屋で、明治期にはサイダーも製造していた。
    そのサイダーが、現在も復刻している。
    昔ながらに、砂糖、酸味料、香料だけで製造された、素朴ながら爽やかなサイダーだ。




  • 二見浦

    古来より伊勢参りの人々が、神宮の参拝前に
    海に浸かって禊(みそぎ)を済ませる「浜参宮」を行った海岸。
    また、明治時代には日本初の海水浴場が設けられた場所でもある。




    二見浦には、かつて貴賓館・旅館として賑わった「賓日館」を訪れるためだけに来ても、その価値がある。
    が、もちろん伊勢神宮の旅籠町として賑わった参道を散策するだけでも
    楽しめるし、またここを訪れたら夫婦岩・二見興玉神社への参拝も欠かせないだろう。

    夫婦岩



    「賓日館」は、現在でもそのまま貴賓館として使えそうなほど、"生きた"雰囲気を持つ。

    かつては天皇も宿泊された、由緒ある旅館。明治20年に建てられたが、現在の姿になったのは、
    昭和に大改装が行われてから。
    賓日館は外装の豪華さもさることならが、
    内装の見どころが実に多い。
    私はじっくりと内部を見学したところ、気が付いたら午前中いっぱいをここだけで過ごしていた。





    宿泊施設としての面影を多分に残しており、宿泊者になった視点から眺めてみると
    気付けることも多い。
    和室は座った視点から眺めた時に最適な景観になるように作られているため、
    例えば手すりに施された細かな装飾など、座ってあたりを見回して気付けることがある。
    ということを、ガイドの方が丁寧に教えてくださった。




    和の意匠の美しさに感銘を受けながら、を眺める。



    夏限定の簾戸はいかにも涼し気で、見た目も美しい。
    簾戸が並ぶ廊下もまた味わい深い。


    古市、河崎、二見、おかげ横丁。
    これらの町を築くに至った起因はすべて、伊勢神宮にある。
    いずれも伊勢神宮と一心同体ともいえるほど縁の深い町だが、
    神宮の建物とは違い、町の風景は時代とともに変わり続ける。
    それでも歴史の残り香とでも呼ぶべき風情や趣が、どの町からも感じ取れた。






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