「旅とクラフト」
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ショップを開設しました。ペーパークラフトを販売しています。

東急ハンズWEBショップ「Hands Gallery Market」でもオリジナル・ペーパークラフトを取り扱い中



函館の

ペーパークラフト

/旅とクラフト



  主に、旅先で手に入れた、旅先ゆかりの模型などを紹介します。
  また、街並みや景観を再現したペーパークラフトを制作、公開します。



函館のペーパークラフト




  • 旧金森洋物店と相馬株式会社の建築

    函館の歴史で暗い影を落とすのが大火。
    函館は何度も壊滅的な被害を受けるが、
    人々はその都度、力強く復興している。


    1907年(明治40年)の大火で函館の地を去ることになった啄木は、
    大火について以下のように述べていた。
    「大火は函館にとりて根本的革命なりき、
    函館は千百の過去の罪業を共に焼尽して今や
    新らしき建設を要する新時代となりぬ、
    予は寧ろこれを以て函館のために祝杯をあげむとす…
    ここ数年のうちこの地にありては再興の見込なし」



    市内の半分を焼失したこの火災から、
    類焼を免れた建物、旧金森洋物店

    実業家、渡邉熊四郎が箱館戦争に直面し、
    旧幕府軍を「洋装」をした新政府軍が
    圧倒する姿をみて、これからは洋服の時代が来る
    と確信して始めたのがこの店舗である。

    その後、実業家として成功した渡邉氏は、
    教育や福祉面などでも
    函館の発展にも大きく寄与する。
    また、世界一周をして世界中から
    学びえたアイディアを、函館の街の発展に生かした。
    いまも名所として残る金森倉庫も、
    営業倉庫(保管代行)として使われたというのは
    当時として画期的だった。


  • 函館の発展に欠かせない人物として、もう一名。
    相馬哲平氏も、箱館戦争を契機に
    米の投機買いを行い財を成した。
    また当時は誰も行ったことがなかった
    漁師への融資を行うことにより、
    水産業の発展にも寄与した。

    日本でも屈指の富豪となった相馬氏だったが、
    その生活は質素倹約で、「郷土報恩」の精神で
    函館に莫大な額の寄付を行っている。



    いまも観光名所となる旧函館区公会堂
    相馬氏の寄付により建てられた。
    しかもこのとき、ちょうど上で述べた
    明治40年の大火の際であり、
    相馬氏自身も住宅や店舗を失うなどの
    被害に遭っていたにも関わらず、である。



    相馬氏に関わる建築としていまも残るのは、
    公会堂と旧相馬邸(これも素晴らしく見所多し)、
    それとモスグリーンが特徴的な株式会社相馬社屋である。


  • そして今回、旧金森洋物店と相馬株式会社の建物をモデルと
    させてもらい、ペーパークラフトを作成しました。


    実際の位置ではふたつの建物は離れていますが、
    路面電車が走る姿に調和します。


    明治・大正時代から残る和洋折衷の建築。
    箱館戦争を契機に財を成した二人の実業家に関わり、歴史を
    感じさせます。







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