ヴェネチアの旅


 もとはヴェネチア共和国として、
中世までアドリア海の女王として君臨した.

大航海時代の航路開拓や

オスマン・トルコの台頭
などにより
勢力は徐々に弱体化.
その後は歴史の波に飲み込まれ、
列強国の謀略に翻弄されながら

表舞台から姿を消す.

しかし独自の文化はいまだに生き続け、
世界屈指の美しい水の都であることは
いまも変わらない.





ヴェネチア本島
  • サン・マルコ周辺

    リド島・ムラーノ島




    ェネチア本島には鉄道でわたることができる。
    列車がヴェネツィア・メストレ駅(ここが終着駅でないことを注意))を過ぎ、
    視界が急に広がると、大海原が開けてくる。
    列車が海を渡り本島に近づくにつれ、いやがうえにも気持ちは高ぶってくる。
    自分はついに、あの「ベニスに死す」の舞台に行くことができるのだ。

    着駅、サンタ・ルチア駅からはヴァポレットと呼ばれる水上バスを使って
    移動をすることになる。ただし、ヴェネチア本島は広くはないため、
    サンマルコ広場などまで、駅から歩いて行くことは可能だ。
    しかし道は迷路のように複雑なため、着いてそうそうサンマルコ広場まで
    向かうのは少々難題かもしれない。

    ヴァポレットは値段により使用できる期限が異なり、その期限の間であれば
    どこで何度でも乗り降り自由。1時間、24時間、48時間、72時間券などが
    存在し、旅行期間に合わせて購入すれば便利な制度となる。

  • ヴェネチアの街は細長い建物が所狭しと軒を連ね、
    その間に運河が毛細血管のように這っている。
    道は複雑に入り組んでいて、適当に歩いていると方向感覚を失ってしまう。
    どこの景色も印象的で絵になるが、逆にその要因で目印を探すことも困難である。
    迷宮都市ヴェネチア。歩いてみてそれを実感できる。





  • 5世紀ごろ、そこは何もない干潟だった。
    ゲルマン人の侵攻から追われ、安住の地を求めた人々が
    たどり着いた土地が、ここヴェネチアだった。
    大量の木杭を打ち込んで建物を立て、
    人間の住める土地にしていったという。



    本の伊根しかり、
    ベルギー・ブルージュしかり、
    私がかつて訪れた水の都と呼ばれる街は、
    どこか、幽玄な儚さを感じさせるような
    切ない美を持った街だった。
    ここベニスは、ブルージュのように
    静寂の中の穏やかな死の微香を感じ取れる
    ほどに陰気な街ではない。しかし、
    たしかにこの街にも物悲しさが住み着いている。



    員電車さながらに観光客でごったがえす水上バス。
    強烈な陽光にさらされて明るく輝く街並みとみなも。
    それは夏のベニスであったからであろうが、
    街は活気に溢れ、人々の足取りは軽快である。

    かといって、南国リゾート地のような陽気さではない。
    街並みが歳月の重みを遺しているせいか、
    街の至る所から刻まれた年輪のような
    歴史の深みといったものを感じ取れる。

  • サンマルコ広場


    ンマルコ聖堂や鐘楼、行政館に四方を囲まれた、
    ヴェネチアでもっとも有名な場所。
    ナポレオンにもっとも美しい広場と言わしめた空間だが、
    現在では賑わう観光客や露店、またカフェのオープンテラスなどで
    埋め尽くされ、深夜になっても賑やかだ。
    この空間を静寂の中で味わおうとするのは至難である。

    この広場が特に冬季にかけて、高潮時に浸水してしまう。
    私が訪れた初夏の時期でも、夕方のサンマルコ聖堂入り口あたりに
    大きな水溜りが出来ているのに気がついた。
    この美しい水の都ベニスの街並みは、常に水害との隣り合わせである。
    温暖化による水面上昇が続けば、水没の危機も免れない。


    真夏の観光の最大の利点は、観光スポットが夜まで営業している
    ことだろうか。広場の鐘楼は、7月から9月にかけて21:00まで
    のぼることができる。そのおかげで美しい夕焼けに包まれた
    ベニスの街並みを一望でき、思う存分に堪能することができた。

    斜陽を浴び、息を呑むほどに美しく輝くヴェニスの街。
    世界中の人々を惹きつけ、魅了してやまず、一度来たものは
    二度三度と訪れるという。その理由が、ここに来るとわかる気がする。



  • アカデミア橋〜サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会

    ヴェネチアは水路と路地が交差しあい、地図上では簡単にいけそうな
    場所でも思うようにたどり着けないこともある。



    カデミア橋を渡り対岸に入ると、そこは観光客でごったがえす
    サン・マルコ広場方面とは違った、静かなヴェニスの街並みだった。
    表通りの一歩裏手に入れば、のどかで素朴な市民生活が伺える。

    ここヴェネツィアは車(自転車も含む)も入れず当然地下鉄もバスもない。
    学校や病院といった公共施設の数も限られ、スーパーや市場も少ない。
    また観光収入に依存しているため物価は高く、
    ディナーで無計画にリストランテやトラットリアを利用すると
    高くつくことになる。
    また水上の傷みやすい建物の修復には多額を要し、
    ここに住むことは、イタリア人にとっても容易なことではない。
    流行や現代の潮流とは無縁なこの街は、若者にとって
    時に退屈にみえるかもしれない。
    実際にヴェネツィアを離れていく若者が多く、
    住民の人口の減少や高齢化が進んでいるという。




  • ンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会は、ヴェネチアの玄関口に聳えるシンボル。
    地中海からヴェネチア本土に入るときには、
    この教会は灯台の役割を果たして渡航者を招き入れる。


    ェネチアの苦難の歴史には常に疫病がつきまとうが、
    とりわけ黒死病の発生は人々を戦慄させた。
    17世紀に黒死病が大流行し、人口の3分の1を死に至らしめるほどの猛威をふるった。
    通称サルーテと呼ばれるこの聖堂は、2年に及ぶ黒死病流行の終焉を
    聖母マリアに感謝するために建てられた。
    全体が清楚な白を基調として、ヴェネチアでは類をみない
    巨大なドームが存在感を際立たせている。


    談...

    観光名所に行くとどこかで必ず突き当たるのが、工事中という障壁。
    今回いちばんひどかったのがここである。これが何かおわかりだろうか。
    溜息の橋、なのだが、情緒の欠片も感じられなかった。

    ただ、ドゥカーレ宮殿を見た際に、
    順路をただ闇雲にたどっていて牢獄の次に渡り廊下を歩いたとき、
    外の景色を覗いてみて驚いた。
    なんとそこは、まさに溜息の橋を渡っている最中だったのだ。
    牢獄は満水時に水没し、囚人は生きて戻ることができなかったことから、
    囚人たちの絶望の吐息からついた名称が『溜息の橋』。
    とすると、さっき何気なく見てきた牢獄はまさにその水牢だった。
    そう思うと、ぞっとするものがあった。


  • リド島
    ヴィスコンティ監督の映画「ベニスに死す」の舞台となるリド島。
    島自体は南国リゾートの雰囲気を醸し出していて、
    ヴェネツィア本島を歩いてきた後だと
    月並みなリゾート地に見えてしまう。(この島には車も走っている。)


    を渇望するもそれに挫折して心身ともに疲弊した老音楽家は、
    療養の地としてベニスの地を訪れる。そこでたまたま出会ったひとりの少年に、
    いくら追い求めても手に入れることのできなかった美を見出す。
    そして、その美に憧れを抱いたまま、触れることもできずに老音楽家は死を迎える。
  • その老音楽家アシュンバッハが滞在したホテルが
    リド島にある高級ホテル・デ・バン。現在でも外観が変わらずに
    現存し宿泊することもできるようだが、私が訪れたときは改装中だった。


    語の大半はデ・バンとその宿泊客が使えるプライベートビーチが舞台で、
    ヴェネツィア本島のシーンは僅かしかない。
    現在もプライベートビーチにアシュンバッハがタジオを眺めながら
    寛いだような小屋が並んでおり、
    当時と変わらぬ雰囲気を味わうことができる。


  • ムラーノ島
    ヴェネツィア本島よりも陽気な街並に感じられるが、
    ここはもともと、ガラス職人が幽閉されていた場所でもあった。
    13世紀ごろ、ヴェネツィアは東西貿易の中心地であったが、
    中でも重宝されたのがガラス製品だった。

    んなガラスを自国でも生産するために、
    当時のガラス製作先進国から職人を移住させた。
    しかし、もとより原材料等を自国から調達できないヴェネチアにとって、
    職人が流出したり、技術が盗用されてしまえば元も子もない。
    そこで国家は職人をムラーノ島に隔離し、褒章を与えることで
    職人たちを切磋琢磨させた。その結果生まれた文化が、
    ヴェネツィアン・グラスだった。
  • ブラーノ島は色彩豊かに塗られた家々が有名だが、
    ここムラーノ島でもカラフルな家が軒をつらねていた。
    これは濃霧の際にも漁師が自分の家を見分けられるように色をつけたからだ。


    ラスを名産とするショップが所狭しと軒を連ねていて、
    競合店が犇めき合っている印象だ。
    中でも印象的だったのがガラスのモザイク画の素材店で、
    店内では印象派の模写などが色彩豊かに飾られていた。




    後日追記..
    この旅の旅情を忘れないためにも、
    ベネチアのペーパークラフトを作成しました。
    詳しくはこちらへ






ベニスの月は、幻の映像。






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