奈良ホテルを起点として散策すると、
周辺を一巡するように主要な観光地をめぐることができた。
@奈良ホテル
日露戦争戦勝を契機として、当初は外国人誘致のために設立された
格式と歴史を持つ奈良ホテル。
相次ぐ経営陣の入替り、戦争、戦後の連合軍による接収など
様々な紆余曲折もありながら、現在に至る。
その凛とした姿は奈良の歴史ある町並みと一体化している。
アインシュタインが弾いたピアノ。
かの乃木将軍や満州国皇帝溥儀も宿泊したと聞くだけでも
ホテルの持つ歴史の重みを感じることができる。
Aささやきの小道
志賀直哉の旧居がある趣のある小道。
春日大社まで続く小道の途中、
鹿の群れがゆったりと横断していった。
春日大社では鹿が神使とされるが、こういう光景を見ると
神社とともに息づいていることを実感できる。
B春日大社
石燈篭が延々と並ぶ参堂を歩くだけでも、
凛とした空気へといざなわれる。
C東大寺
幼少期の家族旅行、もしくは修学旅行などで訪れたときに受けた印象そのままを、
大人になり同じ建物を見て感じ取ることは少ないように思える。
それが、この南大門を通ったときに、はっきりと幼少期に受けた印象が蘇ったのを感じた。
ただ純粋に、この門の持つスケールに「すごい」と圧倒される感覚であった。
南大門の建立は鎌倉時代で、大仏殿(金堂)よりも遙かに古い。
「大仏様」という日本では珍しい建築技法は中国伝来のもので、日本の繊細な建築物に比べると
まるで骨がむき出しのような建築は荒々しく、そこがまた味であると思うが、
日本ではこの建築技法は浸透しなかったそうである。
この大仏殿は江戸時代に再建されたものだが、焼失される前の金堂は
現在より30メートル近く大きかったそうだ。
江戸時代の建築は、予算的な制約もあり、
かつての時代のような巨木の入手が困難となり、
巨大建造物の建立には不向きだったため、大変な苦労があったようだ。
D興福寺
奈良時代には強い権力を持っていたという興福寺も、
時勢の潮流には抗えず、翻弄されることとなった。
それまで幕府に保護され続けてきたが、
江戸幕府が崩壊し明治政府が起こると、
天皇中心とする神道国家体制を徹底し、
神道以外の宗教が激しく弾圧されはじめた。
境内は塀が取り壊され、寺領は四散した。
今日、興福寺が奈良公園と一体化しているように感じられるのも、
そのときの傷跡の名残であるという。
時間は変わって、夜の猿沢池から眺めた興福寺はまた美しい。
Eならまち
江戸時代に商業で栄えた町並みが、
第二次大戦の戦火からも逃れたことから、旧市街地として残り続けた。
その町並みを保存する動きが起こったのは意外にも
そう遠くない近年(1980年代)のことで、そこでこの町並みの景観が
いかに風情に溢れ文化的に貴重であるかということが再認識された。
観光地であっても、そこにある町並みは自然体であって、
造られた作為的なものが感じられず、それが一層に旅情を増すものである。
木造建築の保存は常に困難が付きまとうが、いつまも奈良の町並みは
変わらずにいてほしいものである。