津和野の旅


津和野

そこは誰しも郷愁を誘う場所

深い山の中に悠然と残る

小さな城下町白壁の歴史ある屋敷と

山々の景観は調和する

その淡い色彩は

水彩画のように美しい






     本町・殿町

     津和野城跡の眺望

     乙女峠



  • 和野はすべて山の中である。

    島崎藤村の言葉を文字ってしまうが、
    事実そう表現するのが的確である。



    萩・石見空港から寄合タクシーを利用して、50分ほど。
    車で山の上から眺めるこの町の景観も見逃せない。


    深い山の中に悠然と残る小さな城下町。
    列車が走れば、その音が山々から
    こだまのように反響し、町のどこに居ても
    列車が来たことがわかる。





    世界的な絵本作家、安野光雅さんが
    あのようなやわらかい色彩を残すのは、
    やはり故郷のこの独特の景観が関係している気がする。
    靄がかった淡い山々の景観、
    それはまるで水彩画のようだ。



    「山陰の小京都」
    そんな二番煎じの言葉で津和野の
    魅力を語ってはいけない。
    ここは唯一無二の場所だ。

  • 殿町


  • 本町


    観光は、徒歩か自転車での散策が最適だ。
    駅から本町・殿町まではすぐだが、
    そこだけを散策してこの町を去ってしまうのは
    あまりに惜しい。



  • 太皷谷稲成神社
    日本五大稲荷神社のひとつに数えられる。
    鳥居が約1000本立ち並び、山上の本殿へと延々と続く。


  • 津和野城跡観光リフト


    太皷谷稲成神社より川沿いにさらに先に行き、
    右折して坂道を登ると到着する。
    リフトを乗った後、
    天守を目指し少し登山をする。

    全国的にみれば、もっと難所に立てられた城もあることだろう。
    それにしても、よくこのような山上に築城しようと思うものである。
    急勾配が多い山道に石材を運ぶだけでも、相当の労苦があったに違いない。



    ここからの散策は特に清清しいものだった。
    見事な石垣が残る本丸跡からは
    津和野の美しい街並みを一望できる。
    そこはさしずめ、空中庭園の遺跡といったところ。
    素晴らしく開放感に満ちた場所である。



    リフトの往復と城跡のハイキングを兼ねても2時間もあれば
    堪能できる。
    この素晴らしい場所が、ガイドブックや
    観光案内などで大々的に紹介されていないのは意外だった。
    ここは津和野に来た際には是非立ち寄るべき名所に思える。
    津和野町は、この場所を全国にもっと紹介すべきである。



    この山上からは町の全体が余すことなく見渡せる。
    石見の国は、古くから建築に石州の赤瓦が用いられていることから、
    建物に統一感があり、上から眺めても独特の赤色が映える。

    津和野は山に守られた町であり、
    独特の居心地のよさを感じるのも、
    あまりに町が広すぎないことにもあるかもしれない。


  • 乙女峠
    そこは津和野の持つ暗い歴史の一旦を垣間見る場所でもあるが、
    同時に精神が浄化されるような神秘的な場所である。



    長崎の旅で記述した、遠藤周作氏の小説「女の一生」で
    浦上四番崩れがおき、清吉ら隠れキリシタンが幽閉され、
    長きにわたり想像を絶するような責苦を味わった場所。
    小説はフィクションだが、小説で描かれる場面は
    遠藤氏の創作ではなく、この乙女峠で実際に起きた
    悲劇がほぼそのまま使われている。

    いまも養老館が残る津和野は、
    藩主が政策として教育に力を入れ、
    それが故に森鴎外や西周といった優秀な人材を輩出した背景もある。
    津和野は国学、神道研究においても盛んであり、
    神道を政治的な中枢とした明治政府にとって、
    津和野はまさに、異教徒の粛清に適正な地だった。


    廃寺となっていた光琳寺に、信徒たちは幽閉された。
    いまは下の写真のように、跡地となっている。




    この乙女峠を保存し、小さいながらも聖堂を建立し、
    その史実を全国的に広めたのは、パウル・ネーベル神父だった。



    いまや津和野の代名詞のひとつとなっている
    乙女峠まつりを始めたのもネーベル神父であり、
    この方の存在なくして今の津和野はなかったのではないかと思える。

    ネーベル神父は出生がドイツのロートリンゲンで、
    第一次世界大戦ではエルサレムに出征している。
    1928年に来日。
    第二次世界大戦でドイツが敗戦し、
    ロートリンゲンはフランスのロレーヌとなり、
    ネーベル神父の故郷は失われた。
    広島で被爆を経験し、戦後にこのマリア聖堂を建立した。
    岡崎祐次郎という、乙女峠の殉教者の一人から
    名前をもらった日本人名で、日本に帰化している。

    大戦への遠征、日本での大戦、被爆、亡郷など
    激動の中に身を置いたパウロ神父がなぜ
    ここまで津和野の乙女峠に尽力したのか、
    その経緯までは分からなかったが、
    この方の誠意と並ならぬ努力には心を揺るがされる。



    殿町の和の街並みに聳える、ゴシック建築の教会。
    いまや津和野の景観に馴染み、歴史を物語っている。
    この教会もマリア教会とともに、
    不屈な精神を持って地獄を耐え抜いた、
    敬虔な信徒の精神を称えている。




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