富岡製糸場のペーパークラフト
富岡製糸場
を巡る
富岡製糸場を巡る旅
富岡製糸場
「蛾」
について。
日本人にとって何かと忌み嫌われる存在ではあるが、
「飛んで火にいる夏の虫」のことわざや
「火取虫」の季語でも用いられる、馴染みのある面もある。
その「蛾」の中にも、
取り分け人間の文明にとって必要不可欠とすらなった、
いわば人間が多分な恩恵に授かっている虫がいる。
「蚕蛾」である。
「蚕蛾」は人間に飼いならされた特殊な生き物で、
人間の保護なしでは生きられない。
成虫になっても羽は退化して飛べず、
飲むことも食べることもせず、生殖だけ行って死んでいく。
人間の品種改良により、共依存状態となった、不思議な縁の生き物である。
そんな蚕から作られる絹は、世界中で重宝され、
シルクロードの交易路を作り出し、日本の近代化の礎ともなった。
2014年に世界遺産にとなった「富岡製糸場と絹産業遺産群」、
中でも富岡製糸場の出現により、日本は一時、世界最大の生糸の産出国となる。
世界遺産の審議においても、
富岡製糸場に匹敵する近代的な製糸工場は世界的にも見当たらないとされ、また
富岡製糸場の建物群も、和洋折衷の産業建築が高く評価されている。
正門
実際にそんな富岡製糸場を訪れてみると、成程途方もないスケールで
生糸が大量生産されていたことが実感できる。
明治期は無謀ともいえるような突貫工事で作られる施設が少なくないが、
この富岡製糸場も、一年半という短工期で建てられ、明治5年から操業される。
東繭倉庫
入口正面の、富岡製糸場の顔ともいえる、東繭倉庫。
木骨煉瓦造のフランス積みのレンガ壁面と、日本の伝統的な屋根瓦が
組み合わさった、和洋折衷の建物。
延々と横に伸びる倉庫は、歩いてみてそのスケールをより実感できる。
この倉庫の中に約32トンもの繭が保管されたとされるが、
あの軽い繭が32トンも集まるとどれほどの物量になるのか、想像もできない。
繰糸場
繰糸場は、繭から生糸を抽出する工程を行う工場だが、外観も美しい。
この建物の中にこそ、当時世界最大規模の製糸場だったという名残りが垣間見れる。
ここに、当時はフランス式繰糸器が延々と並んだ。
富岡製糸場は1987年まで現役だったため、現在並んでいるのは現役時代の
オートメーションが進んだ機器。
素人目で蚕から糸を取り出す工程は簡単ではなさそうだが、
繰糸器は驚くほど複雑でアナログな動作を繰り出し、繭から糸を拾って行く。
このほかにも、フランス式の製糸業の指導をしたブリュナー氏が住んだ首長館、
女工館や社宅などの建物も現存するが、残念ながら内部にまで入れる施設は少ない。
首長館
女工館
女工館は大浦天主堂の旧長崎大司教館の雰囲気とよく似た印象を受ける。
社宅
世界遺産の観光施設としてみたときに、
2016年現在の富岡製糸場はまだ整備中だという印象はぬぐいきれない。
内部を見学できない施設が多く、外観を見て周るだけでは物足りなさを覚えた。
上州富岡駅の近くには、かつて製糸の倉庫や乾燥場として使われた
「富岡倉庫おかって市場」があり、ここにも貴重な史跡が残っていた。
富岡倉庫おかって市場
乾燥場
こういった周辺施設にもスポットを当てたり、
関連施設の田島弥平旧宅、高山社跡、荒船風穴へのアクセスの便を良くするなど、
満足度を上げるような施策が必要なのではないかと思えた。
また、残念ながら世界遺産には含まれなかったものの、
碓氷峠のアプトの道
や、
織物業で栄えたノコギリ屋根の
桐生
など、観光として十二分に魅力がある場所が近隣にある。
製糸業に関連する周辺の文化遺産を
一緒に訪れると、より充実した旅になるのではないかと思う。
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