加古川社宅のペーパークラフト




龍野・加古川の旅

兵庫


そうめん・うすくち醤油の名産地

播磨の小京都・龍野

毛織物産業の城下町

戦前の原風景が残る加古川





龍野




  • 龍野散策

    姫路駅から姫新線本竜野駅まで、電車で20分ほど。

    鶏籠山と揖保川に囲まれた一区画に、
    いまも播磨の小京都として
    昔町の風情が残る龍野の町がある。



    姫新線の「本龍野」駅から
    揖保川に向かって徒歩で10〜15分ほど歩くと、
    昔ながらの街並みや、醤油工場の煙突が見えてくる。
    駅から少し距離があることから、龍野の街並みは
    鉄道計画の宅地開発からものがれたらしい。





    龍野城が見下ろす、四方が山と川に囲まれた、文化と自然豊かな町。
    少し散策をすれば土地勘はすぐにつかめ、迷う心配もない。
    まちのあちこちに見かける、「赤とんぼ」のシンボル。
    ここは、あの童謡「赤とんぼ」が歌われた地であり、どこか郷愁を感じる。
    ゆったりとした町の空気に浸りながら、
    時間をかけてくまなく散歩するのがまた楽しい。



    龍野はかつて、花街としても栄えていたらしく、
    趣向を凝らした建物も多く残っている。




    三日月大豆、播磨の小麦、赤穂の塩、揖保川の清流。
    そんな特産物に恵まれたことから、
    龍野は単なる観光地としてだけでなく、
    そうめん揖保の糸やうすくち醤油の生産地としても
    全国的に名高い。



    また、そんな特産品を活かした和菓子屋も
    立ち並び、味比べをして食べ歩くのも面白い。



    私が訪れたのは2014年の年の瀬で、
    観光地は軒並み年末年始休業に入っていたが、
    老舗の和菓子屋やこうじ屋は営業をしており、
    龍野の魅力を十分に楽しむことができた。

    ただ、醤油工場や揖保の糸の施設なども
    見学はできなかったのが心残りだった。
    春には桜、秋には紅葉の名所となるらしいので、
    違う時期にあらためて再訪したい。




  • ニッケ加古川社宅


    震災や火災、国内の戦乱や世界大戦、
    日本の各地は何度も焼け野原になり、復興を経験している。
    その都度、街並みは一変し、人々の生活に合わせて
    建物の姿は順応していく。
    もとより地震が多く、強度や保存に弱い木造建築が主流であった
    日本にとってはそれが当たり前の姿であるから、
    古い建物が淘汰され、失われていくこともまた、必然の姿なのかもしれない。
    ヨーロッパのように、町一体が千年前の姿のまま
    残っていることなど、日本ではありえない。
    せいぜい、古い建物が点在して残るだけなのだ。



    それでも残したいもの、残すべきものは存在する。
    しかし現実には、そんな建物も、その価値に日の目が当たらず、
    文化財にすら指定されず、いまも着実に失われている。
    それはあまりに惜しいことである。
    そして、いままさに失われてしまいそうな、価値あるものがある。
    それが、加古川にあるニッケ社宅の街並みである。





    戦前・戦後には当たり前にあった街並み。
    いまや、その姿が一区画まるまる残る場所など、殆ど見ることができない。
    そんな貴重な光景が、ここには残っている。




    ニッケは国内有数の毛織物企業として、明治期から昭和期にかけて
    飛躍し、現在でもトップブランドとして残る。
    加古川には工場と社宅が残るが、工場には煉瓦造りの建屋、社宅には
    戦前の木造建築、そのどちらもが昔からの景観を残している。
    工場については加古川から姫路に向かう列車の車窓からよく見え、
    煉瓦の建物群がひときわ目を惹きつける。



    この街並みがなぜ、現在まで殆どそのままの姿で残っていたのか、
    その経緯はわからなかったが、ただ、近年になりこれらの施設が
    急速に解体され、失われ始めている。
    もともとは加古川を挟んだ両岸に、加古川工場と印南工場、および
    それぞれの社宅が存在したが、加古川工場と印南社宅は取り壊され、
    商業施設が建ってしまった。
    そして、映画の撮影でも使われている加古川社宅も、
    一部煉瓦の外壁の建物が老朽化を理由に2011年に解体された。
    また、景観の重要な要素であった砂利道も一部はコンクリート化され、
    残る街並みの範囲は狭くなった。



    再開発の波は、いまもこの一帯に押し寄せている。
    建物は、壊すのは容易であっても、一度壊してしまえば
    二度とその姿はよみがえらない。
    一時代の姿が消えてしまうことは、悲しむべきことだ。

    街並みを残すにいたっては、やはり観光資源として前面に押し出し、
    街並みを「見世物」にして景観を維持する観光収入を得るしかないのだろう。
    観光地化により失われてしまう原風景もあるかもしれない。

    しかし、それをやってでも、この街並みは残してもらいたいと願う。
    それほどまでにここは、失いたくない貴重な景観であるのだから。



- Click Map -



Welcome

AMFF by TAK
画像の無断転載・複製はご遠慮ください。


inserted by FC2 system