白川郷の自作ペーパークラフト

白川郷の旅

そこに住む人々は

かつて蚕と塩硝を一次産業とし

豪農も出現したが、

その生業を失い出稼ぎ労働の

過酷な生活を強いられた。

昭和に入り過疎化とダム建設により

集落は幾つも捨てられたが、

消えかかった灯火は

村民の努力により

再び力を取り戻し、

いま脚光を浴びるに至る。






白川郷

  • 川郷、そこは古きよき日本の原風景であると同時に
    神秘の景観でもある。



    私は金沢駅から高速バスを使い、訪れた。
    金沢からはおよそ1時間10分程度で到着する。


    季節は3月。2012〜2013の冬は豪雪が
    続いたことから、山と集落にはまだ大量の雪が積もっていた。
    その積雪はやはりすごいものがあり、
    もうずいぶん雪解けされたであろう、
    この時期でも、所により1メートル以上の雪が積み上げられてている。




    白川郷の絶景ポイント。
    下の高台までの有料バスが用意されているが、
    徒歩で坂道を登っても行くことができる。
    写真からわかるように、村の中を道路が真っ直ぐに走っている。
    この本通りが観光の目印になり、迷うことなく散策できる。




  • 合掌造りの家屋は総じて大きい。
    この大きさにも、「合掌」と比喩される屋根の急勾配にも、
    合理的な理由がある。



    合掌造りのキーワードは下の4つになりそうだ。
    ・豪雪地帯
    ・大家族制
    ・養蚕業と塩硝(火薬の原料)
    ・結(ゆい)



    大家族制

    いまでさえ高速道路の開通により
    気軽な観光地となったが、
    一昔前までは御伽噺の舞台となるような
    山奥の集落だった。
    もともと耕作地も少なく、
    人が住める土地も限られる山里のため、
    家族が増えても分家することなく、
    大家族となって居住し続ける。
    そのためには必然的に大きな家が必要となった。


    豪雪地帯

    しかし大きい平屋だと、
    この地方の冬の水分を含んだ豪雪にはとても耐えられない。
    そのため屋根に急勾配を付けて、建物への
    負荷を減らすとともに、
    雪下ろしの作業負荷を軽減した。


    養蚕業と塩硝

    合掌造りは家内制手工業の工場であるともいえる。
    3〜4階建ての階にはそれぞれ用途があり、
    一階が居住部位、2〜3階が糸つむぎなどの作業場、
    上階が蚕の飼育場、地階が塩硝の生産場。
    主な産業は養蚕業と塩硝となり、
    もとより農地の乏しい農業は
    自給自足程度にしかならなかったようだ。
    とくに塩硝は火薬の原料となることから
    (江戸時代の頃)軍事機密となり、
    生産場所も(僻地に)限られたことから
    大きな収入源となっていたようだ。

    屋内を拝見しても、内装は凝っていて
    裕福なように思えたのは、
    ここでしかできない特別な産業があったからなのだろう。




    屋根の葺き替えを30年〜40年に一度行うが、
    この巨大な屋根の葺き替えは容易ではなく、
    短期間で終わらせるためには1日あたり200〜300人
    で2日ほどかかる作業となる。
    しかも、そのための準備は早くから行われ、
    必要量の茅(かや)保存、必要要員の概算、必要要員の手配、
    完成祝いの手土産の準備など、
    大変労力のかかる調整が必要になるとのこと。
    もしもこの作業に費用が発生していたら膨大な金額となり、
    とても家屋を維持することができない。
    そこで結(ゆい)という組織を形成し、
    言わば「困った時はお互い様」という相互扶助を
    行うこととした。



    このように、合掌造りは
    集落を存続させるために作られた合理的な姿であるといえる。




  • 在の白川郷は、
    例えば日本の「伊根」のように
    特殊な家屋を残しながらも人々の生活を
    感じ取れるような土地とは異なる。
    同様に合掌造りの集落が残る五箇山では、
    そこに住み続ける人々の生活を感じることができるというが、
    白川郷は言うなれば合掌造り集落のテーマパークと
    いう色合いが濃い。
    素朴な原風景のみを求めてそこを訪れると、
    どこか違和感を覚えることだろう。



    しかし、それを皮肉に受け取ってはいけないのだと思う。
    上述のような特殊な条件下で誕生したこの建築は、
    現代の生活の中では、広すぎて高すぎる構造は住みにくく、
    メンテナンスに手間隙がかかり、
    実利的な面からだけみると無用の代物となっている。
    かつて、豪雪から孤立地帯となり、集団離村するなど、
    存亡の淵に立たされていた白川郷一帯。
    時代の変遷とともに一次産業を失い、そこでの生活は容易ではない。
    そうなると、生き残るための手段として「見世物」とするのは
    当然のことだろう。



  • 光地としての白川郷には、
    世界遺産として認定されてから環境が激変し、
    どこかこれからの存続の有様を模索しているような気配が
    感じられる。
    観光地化に伴う景観の悪化から、危機遺産になりかねないと
    いうような問題も発生しているようだ。



    それでも、ここ白川郷は世界でも随一の美しい場所。
    この土地に根付く文化の伝承を失うことなく、
    より調和した姿で存続してくれることを蔭ながら願ってやまない。




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