宿根木のペーパークラフト




佐渡
宿根木・相川

を巡る






佐渡 宿根木・相川を巡る旅


  • 宿根木

    佐渡を路線バスを使ってアクセスしようとする人は少ないかもしれないが、
    ここではあえて、路線バスを使った宿根木へのアクセス方法を述べてみる。

    新潟から佐渡汽船で佐渡にアクセスすると、
    玄関港の両津から佐和田BS、佐和田BSから小木港佐渡汽船、小木港佐渡汽船から宿根木
    と3回バスを乗り継がなければならないが、問題なのが小木港から宿根木までの
    宿根木線のバスの本数が極端に少ないこと。
    土日祝日でも日に4〜5本しか運航していないため、乗り継ぎの時刻を考慮すると
    滞在時間が1時間程度しか取れないケースも出てくる。
    しかしながら、宿根木はじっくりと、集落独特の風情に浸りたいところ。
    佐渡で2泊以上を計画し、まる1日を宿根木観光に充てると、
    11:37〜15:41までは滞在することができる(H28現在)。




    佐渡には、集落全体がそのまま明治時代から歩みを止めてしまったような、そんな幻の集落がある。
    「宿根木」である。

    佐渡は、それまでは流刑の地であり、
    流人の中で文化人が独自の文化を形成した。

    しかし、金山が見つかり徳川幕府の天領地となってからは、佐渡の果たす役割は大きく変わった。
    先ず金山直轄地である「相川」と、その金を積み出す港として「小木港」が飛躍的な発展を遂げる。
    一方で、小木港から約4kmほどの距離にある宿根木の小さな集落は、独自のやり方で発展していく。



    現在でも直江津からの直通のフェリーが通る「小木港」は、
    北海道から日本海ルートで瀬戸内海を渡り大阪まで廻る北前船の西廻り航路の寄港地としても使われた。
    そんな中、宿根木の船乗りたちは自ら船を造り、
    この西廻り航路を利用して各地の特産品を転々と売りさばき、
    転売により利潤を得る、云わば海の商家を始めた。
    また、そんな経緯から造船、船の修理の技術にも長けた人材が集まったことから、
    千石船(大型荷船)の造船産業が発達した。


    この小さな入江に、生粋の船乗りや造船技師が集まり、
    かつては500人ほどが居住したという。





    宿根木の集落を歩くと、その入江の狭さ、建物の密集具合を体感できる。
    平屋は見当たらず、すべて2階建ての建物。
    そして、縦板張りで統一された外壁。
    この縦板張りは船材からリサイクルされたもののようで、
    船底を腐食や虫食いから守るための包み板が定期的に
    貼りかえられるため、その包み板を建材として再利用した。
    船大工の知恵が、この海辺の集落の建物には存分に生かされている。



    宿根木の代名詞的な建物として「三角家」がある。
    その名のとおり三角形という奇抜な形状で建てられた家は、
    角から見ると船の先頭を見ているかのように思える。



    この家は意外にも、明治期に移築して建てられた。
    ただ、土地は代々から三角形であったことから、建物も
    それに合わせ、半ば作り直されたようだ。




    平成18年に住民の方が移住されてから空き家となっていたが、
    2012年から内部も一般公開されるようになった。
    建物の内部も当然三角形で特殊な作りながらも、
    当時の生活感が残り、暮らしぶりが伺える。




    防風柵として宿根木の正面玄関に建てられた竹柵。
    ここから先は細い小路と年季の入った木材の壁に囲まれた、異空間。
    そこは現代的な要素を拒んでいるかのようでもある。



    明治に入り文明の産業化が進んだ時点から、この集落は取り残された。
    時代の流れについていく道もあったかもしれないが、
    この町の職人気質の風土がそうさせたのか、新しい潮流には乗らなかった。
    その結果、集落は衰退したが、町並みは当時の姿を色濃く残すこととなった。
    ここに足を踏み入れ、町並みを眺めてみると、
    かつての船乗りたちの気風や誇りといったものの片鱗が随所に残っている気がする。


    高台から望む、木羽葺石置き屋根。
    日本海の強風から屋根を守るために、薄く何枚も重ねた杉の板張りの上に石を並べる独特の風景。
    この屋根が連なる姿を見られるのは、日本中でも希少である。







    宿根木の町は小さく道に迷う心配もない。
    外周を見るだけならばおそらく1時間もあれば周れてしまうが、
    短時間で去ってしまうにはあまりに惜しい場所である。
    冒頭で述べたように、丸一日を宿根木のために費やしても時間は惜しくない。
    内部を見学できる施設を巡り、高台からの木羽葺石置き屋根の景観を楽しむなど、
    時間をかけてゆっくり散策し、この集落の風土に浸ることをお勧めしたい。


  • 相川

    相川は、先に触れたとおり、金山の発見により幕府の天領地となり、
    飛躍的な発展を遂げた町である。

    金山とその関連施設が見どころになり、観光地としては金山ばかりが着目されるが、
    実のところその周辺施設に素晴らしい観光施設がある。
    これから触れる施設のいずれもが、「佐渡市相川支所」のバス停から徒歩圏内だ。


    佐渡奉行所



    奉行所といっても、他の地域のそれと異なり、
    相川では役所と金の工場も兼ねていた。
    幕府が金山を取り仕切るうえで、中心的な役割を担っていた重要な施設だった。



    現在では勝場(せりば)と呼ばれる、鉱石から金銀を取り出す工場が再現されており
    鉱石から金銀を取り出す地道な工程を教えてもらえる。



    北沢浮遊選鉱場跡
    佐渡奉行所からすぐ近くの谷合にある、巨大な産業遺跡。
    奉行所の勝場の時代から科学は大きく進歩し、金の採取のためにこれだけ大きな施設を
    築くに至った。



    どういう原理かはよく理解していないが、
    浮遊剤を使い、鉱石や金銀のしぼりかすから、
    さらに小さな金銀を回収する施設だという。





    具体的には、建物の上段に鉱石を運び、
    下段に行くにつれ鉱石は細かく粉剤され、
    そして最後に泡と混ぜ、金のみが泡に付着するため、抽出できる、という仕組みのようだ。

    そんな小さなものを改修するために、これだけ巨大な施設が必要というのも、
    なんとも不思議な感覚である。





    その佇まいは、天空の遺跡といったところ。
    この遺跡の知名度はあまり高くないようだが、
    軍艦島のような知名度の高い産業遺産と比較しても、
    むしろそれらを凌駕するようなスケールを持っている。



  • 京町通り



    金山と奉行所を結ぶ、当時のメインストリートにあたる。
    かつては多くの人が行き交い、商店が軒を連ねていた。
    今では閑静な通りとなっているが、当時の面影を忍ばせる、趣ある建物も並ぶ。
    また、この通りからは海が見渡せる。
    古い素朴な町並みが坂下へと続き、その先に海がある姿は、なんとも画になる。





    旧相川拘置支所



    京町通りの坂を登っていくと、やがて蔦に覆われた長い塀が現れる。
    拘置所の門だが、いかにも入り易そうな施設ではない。
    隣家の方が、扉の足元の留め具を外して好きに中に入っていい、と教えてくださった。
    受け付けも誰もいない拘置所の扉を開けて中に入るのはなんとも奇妙な体験だが、
    ここには、1972年まで現役で使われていた木造の拘置所が、当時の姿のまま残っている。





    面会室や炊事場、受刑者が収監されていた居房棟、医務室など、まるで
    ドラマのセットのように揃っているが、全てが現実に使われていた痕跡を残していて、
    何かを訴えかけているかのようでもあった。
    観光施設であり、登録有形文化財でもあるが、ここの佇まいは廃墟であり、
    朽ちるに任せるような、退廃的な美しさすら感じられる。

    相川には貴重な近代遺構が残っており、それはまた、他所では見ることのできない貴重なもの
    ばかりだった。
    宿根木のような原風景的集落とはまったく違った魅力があり、
    どちらも訪れる価値が十二分にある。



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