大阪の昔町と
レトロ建築
を巡る
大阪の昔町とレトロ建築
大阪の昔町 富田林
富田林は、大阪の都心部から電車でわずか30分程度で行ける、
大阪府で随一の昔町である。
駅から昔町の中心部、寺内町へと向かうと、徐々に
古い建物が目立つようになるが、ある一角に入ると、
木壁が奥までずっと続く景観が現れる。
寺内町の面積はそう広くはなく、適当に散策していても
いつか行き止まりに当たる。
が、その行き止まりから景色を見ると、富田林が高台にあることに気づく。
ここ寺内町は、もともと、周辺の低地から一段高くなった荒れた台地だったそうだ。
その台地が戦国時代に開拓され、一向宗の寺院を中心とする自治都市となり、
町の周囲に土塁がめぐらされた。
いまなお、富田林の町並みが周囲から隔離された空間のように
感じるのは、その名残のようだ。
江戸時代に入ると自治都市としての機能は終わり、
堺や紀伊をつなぐ交通の要所として商業都市として繁栄し、
酒造、米、木材などの交易が盛んに行われるようになった。
いまなお、立派な建物が多く、往来の繁栄が伺われる。
中でも珍しい三階建ての蔵もあったり、屋根の上に煙出しが設けられた
姿も点在され、ここでしか見ることができない独特の景観がある。
都心からわずか30分ほどで、これほど見事で独特な昔町に
アクセスできるにも関わらず、都心部に比べると観光の賑わいもそこまでではない。
世界に誇れるような空間であるだけに、もっと大々的に知られるように
なってほしい場所でもあった。
大阪市部のレトロ建築
大阪のオフィス街、中之島や北浜地区などに意外なほどにレトロな建物が残っている。
大阪都心部はかつて、戦災により焦土と化すほどの被害を受けているが、
比較的被害が少なかったり、もしくは戦災を掻い潜って生き延びた建物が現在も凛として聳えている。
中でも中之島には豪壮な建物が残る。
この細長い島は現在は公園や川辺が美しく整備され、散策していても清々しいエリアになる。
新興の埋め立て地のような区画だが、その成り立ちは大阪夏の陣まで遡り、
当時から大阪中心部への水路の物流の拠点として全国各地から物資が集積されていた。
大阪市中央公会堂は、おそらく大阪のレトロ建築の中でも屈指の豪壮な建築だ。
あの東京駅の辰野金吾氏や片岡安氏が設計に携わり、1918年に建立された。
大阪市中央公会堂
公会堂の内部
その隣に建つ中之島図書館も、堂々たる姿をしている。
こちらは1904年の明治末期に作られた、当時からの「図書館」であり、現役で使われているのもまた珍しい。
ネオ・バロック様式の建物というが、古代ギリシア神殿を思わせる円柱が聳える。
中之島図書館
図書館の内部
この建物は大阪の財閥、住友家の寄付により建立された。
先ほどの公会堂も実は実業家、岩本栄之助氏の寄付により建てられており、
大阪商人の志の高さがうかがえる。
堺筋、御堂筋の通り沿いなどに点在して残るレトロ建築の
ほとんどは、大正から昭和初期に建てられたもので、装飾性の高い、華美な建物が多い印象を受ける。
これらのビルの多くは、重要文化財や指定文化財の指定を受けておらず、
登録文化財にとどまっているため、改修や保全に伴う費用負担を軽減できる措置を受けられる建物は
限られる。そのため、多くは建物のオーナーが長年の自己資金で保存してきている点は、
その心意気を見過ごすことはできない。
新井ビル
新井ビル内部
現在も残るその姿には価値があり、飲食店として現役で使われる施設も多い。
そのお陰で、我々は建物の内部まで見学させてもらうこともできる。
北浜レトロビルディング
北浜レトロ内部
高度経済成長期には日本の各地で貴重な建物が幾つも取り壊され、失われた。
それは嘆かわしいことではあるが、採算が取れない建物を維持するは困難というのも道理である。
価値ある建物として残されたものが、今後も残り続けていくためには、
採算性などの足元を見なければならないことではあるが、今後も失われてほしくないものである。
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