日光レトロ

を巡る






日光レトロを巡る旅



  • 日光レトロ



    現存する中で日本最古のクラシックホテル、日光金谷ホテル。
    そのホテルの創業は、日光東照宮及び徳川の存在が切っても離せない。

    また、日光金谷ホテルの存在により外国人の避暑地となり、
    そのお陰でいまも残る教会なども建てられた。


  • 金谷侍屋敷

    金谷家はもともと旅籠などを営んでいたのではなく、
    代々、東照宮雅楽(ががく)の楽人として、東照宮の近くの、
    かつての東照宮守護職用の武家屋敷に居住を構えていた。




    やがて徳川の治世が終わり、明治維新を迎えて間もなく。
    アメリカ人宣教師のヘボン博士が日光を訪れたとき、
    当時、外国人向けの宿泊先が皆無で困っていたところを、
    金谷善一郎氏が自宅に招き入れた。
    ヘボン氏はこの時、金谷氏の日本流の丁寧なおもてなしに
    喜び、金谷氏に外国人向けの宿泊施設を作ることをアドバイスした。



    その屋敷が現在、金谷侍屋敷として残るが、
    ここはいま金谷ホテルが建つ位置とは異なる。
    金谷ホテル、侍屋敷、後述の東照宮、真光教会、日光田母沢御用邸は、いずれも少し
    頑張れば徒歩圏内で移動できるため、徒歩でじっくりと巡ることをすすめたい。


    (Google Mapより)


  • 日光田母沢御用邸

    ここで一旦、金谷ホテルの話から逸れるが、
    金谷侍屋敷近郊には、かつて赤坂離宮として皇室が利用された、日光田母沢御用邸が残る。
    江戸、明治、大正と増改築が繰り返され、御用邸の中でも最大規模を誇る。



    内装は和洋折衷、様々は部屋が無数にあり、その広大さを実感できる。



    純和風の外観も豪壮で、池の水面に映る姿もぜひ見ておきたい。


  • 日光金谷ホテル

    話は金谷ホテルに戻る。
    金谷氏はこの金谷侍屋敷で客人を迎え入れるようになり、
    やがて「日本奥地紀行」の著者で知られる
    旅行家、イザベラ・バードがここに滞在することになる。



    金谷侍屋敷は、金谷氏が居を構える以前から
    武家屋敷として使われており、複数の隠し階段があり、
    刺客を迎え撃つ仕組みがあり、
    忍者屋敷かのような興味深い造りをしている。
    かつて、徳川の治世においても、これほど用心深い
    仕組みが必要だったのかと、疑ってしまうほどの。
    ただ、当時そのままの姿で残っているからこそ見られる造りは、
    非常に面白く、そしてまた、訪れた外国人からも
    好奇をもってみられたことだろう。


    イザベラ・バードはこの屋敷の美しさ、清潔さ、
    そしておもてなしのすばらしさを絶賛し、著書に書いたことで、
    金谷ホテルの前進である宿は「サムライハウス」として
    外国人旅行者から注目されることとなる。
    これがきっかけで金谷氏は本格的なホテル事業へと参入していく。




    そんな経緯で誕生した金谷ホテルは、当初、2階建てで、
    いまの2階部分が1階だった。そのころに、
    アインシュタインやヘレン・ケラーを迎え入れた。
    現在の1階部分は増設されたものだが、
    なんと地中を掘って建てられたものだった。





    また、昭和十年に落成した別館は、現在も現役の企業、久米設計を
    創設した久米 権九郎氏。久米氏は万平ホテルの設計者としても知られている。
    この建物と、同じくクラシックホテルとして名高い富士屋ホテルの
    花御殿が似ているように感じられるが、これは、
    金谷ホテル創業者金谷善一郎の次男、正造氏が、富士屋ホテルの
    山口家に入婿し、やがて自身で設計をしたため。





    また、金谷ホテルには、かつての帝国ホテルの設計でもしられる著名な
    建築家、フランク・ロイド・ライト氏も宿泊されており、
    本館のバーにある暖炉は、ライト氏自身により設計されたと伝えられている。
    この暖炉は、栃木の特産、大谷石で作られているが、ホテルの
    随所にも、この大谷石が使われている。大谷石は、ライト氏が魅了され、
    帝国ホテルにも取り入れられている。






    日光物産商会

    金谷ホテルの表玄関的な場所に建つ、お土産店とは思えない豪壮な建物。
    築100年以上建ち、有形文化財にも登録されている。
    当初は金谷ホテルの土産物店としてはじまり、現在は土産物と飲食店が入っている。
    内装もレトロで、二階も見学させていただけるので、ぜひ訪れたい。






  • 日光東照宮

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    先般、伊勢の旅行記を書いた際に、
    ブルーノ・タウトの伊勢神宮への賛美を記載したが、
    タウトは、ここ東照宮については辛辣な評価を下している。
    私の先入観では、そんなタウト評があってか、
    ちょっと敷居が高い入場料(入った後は考えを改めた)を払ってまで
    入る価値があるか、と考えてしまった。
    だが、いざ入ってみると、圧倒されてしまった。



    勿論、その絢爛豪華さに魅入られる部分もあるが、
    例えば陽明門の付近にある鐘楼を見たとき、
    全体像としての色彩のコントラストに落ち着いた美を感じられる。
    これがただ絢爛豪華さだけを売りにしていたら、
    色彩が混濁したような嫌味を感じことだろう。
    要所に白と黒を用いることで、華美さが抑えられ、統一感を持たせている。
    唐門などは白を基調として木目調の彫刻が施され、凛として美しい。






    この美しさは、高揚感は感じるし、技巧に感嘆もするが、
    親しみや安らぎを覚えるものではない。
    やはり、権力を誇示するための、西洋の教会や城塞と同種の美しさとして捉えられる、
    装飾の美である。ただ、それはそれで、十二分に訪れる価値があった。


  • 日光真光教会



    弘前の昇天教会、かつて京都にあり現在は明治村に移築保存された聖ヨハネ教会など
    日本に残る傑作の教会を手掛けたガーディナー氏が晩年に築いた教会が、日光真光教会。



    日光が避暑地として外国人からも人気が出て、また金谷ホテルもそれをけん引したことから、
    外国人向けの教会が必要になった。ガーディナー氏自身も
    日光を好んで避暑地としていたことから、愛着を持っており、没後もこの教会に埋葬されている。



    石造りが特徴的だが、この石は栃木の名産、大谷石ではなく、
    近くを流れる大谷(だいや)川から取れた安山岩が外壁に使用されている。
    大谷石よりも重厚感があり、シンプルさの中に統制された美しさを感じる。


    日光は東照宮の存在により江戸の歴史が刻み込まれ、
    そのうえで明治期には外国人の避暑地として洋の文化も取り込まれた。
    町を散策していくとその歴史の繋がりが紐解けて行くようで、楽しめる。











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