吹屋のペーパークラフト

吹屋小学校のペーパークラフト




吹屋

ベンガラの故郷

を巡る






吹屋 ベンガラの故郷を巡る旅


  • 吹屋 銅山とベンガラの都


    備中高梁駅から、一日に数本しか走らないバスでおよそ一時間。
    深い山奥に、忽然と姿を現す美しい色彩の集落がある。





    その集落は単なる古びた農村ではなく、一軒一軒の装いは総じて巧みであり、
    そこに住んでいた人たちのかつての栄華を忍ばせる。



    濃淡がふぞろいなオレンジ、紅、黄の石州瓦がモザイク状に
    組み合わさり、独特の屋根瓦の色を生み出す。
    光の加減で色の表情が大きく変わるため、
    曇り空の景観や青空の景観、夕暮れの景観などで、
    街の雰囲気も大きく変わる。
    日が当たらなければ屋根の色は濃い暗めの紅色のように見えることもあれば、
    光があたると橙色の色彩が勢いを増し、輝きだす。



    こんな山奥になぜ、これほどに豪壮で統一された村があるのか。
    そこには、大きく二つのものが関係していた。

  • まず一つ目が、「銅山」である。
    吹屋ふるさと村の中心街から徒歩で10〜20分の場所にある
    「笹畝坑道」が、銅山としての歴史を物語る。




    吹屋の銅山は、古く807年に発見されたと伝えられる。
    ただ、銅山として栄えたのは江戸時代に入り、坑内の排水用に
    水抜坑道を掘りぬいた時期からだった。
    このころには各地から千人を超える人が集まり、
    西国一の銅山とまで謳われたらしい。



    その後、大きな起点となったのは、三菱の創始者・岩崎弥太郎が
    吹屋銅山の経営に着手したことである。
    ここで炭鉱は近代的に整備され、日本三大銅山のひとつにまで登り詰める。
    この栄華も、現在の吹屋の街並みの形成に大きく寄与しているようだ。
    資料館すぐ近くにある山神社の石柱には、いまも三菱の家紋が残る。



    また、2012年に惜しまれつつ廃校となった、築100年以上も経つ
    吹屋小学校も、三菱の銅山本部跡地が寄贈された。
    江川三郎八の設計、銅山山留工の佐藤元三郎請負とされ、
    三菱も建立に携わったようだ。







    この小学校も、年季の入ったその意匠に、ただ感嘆する。
    明治期特有の擬洋風建築、ハーフティンバー様式も取り入れられ、
    質素ながら丁寧に作りこまれている。
    建築当時は全体が白で塗装されていたそうだが、
    いまは塗装は剥げて地肌の木材が深みのある色合いを発する。
    そして夜間にはライトアップされるが、その光景もまた幻想的で、
    舞台や映画の美しい風景が目前に具現化したかのような錯覚に陥り、
    非現実的な空間に没入できる。



  • そして二つ目が、この地の代名詞ともなっている「ベンガラ」である。
    インドのベンガル地方から輸入されたことからその名がついたが、赤色顔料のこと。
    陶器の顔料や、建築や船底の塗料として重宝されていた。
    吹屋で独自のベンガラが誕生したのは、やはり鉱山であったことが関係するが、
    鉱石を焼いて水に漬ければ赤い色素が得られることを偶然見つけたことから生産が開始されたようだ。
    吹屋で生産されるベンガラの赤は良質で、現在でも化学顔料では再現できない色合いだという。
    江戸時代の18世紀初頭〜中頃には工業化され、良質なベンガラを独占的に生産することで、
    吹屋は巨万の富を築いていった。



    銅山とベンガラの二重の繁栄に支えられ、富裕層は
    さぞかし豪勢な家々が競って建てられたことだろうと思いきや、
    吹屋の景観は統一感があり、突出して豪勢な建物といったものが見られない。
    これは、当時の人々が互いに豪華さを競うことを慎み、
    石州から宮大工を招いて、計画的に街並みを整備し、
    統一感のある街並みを作り出していったようだ。
    こうした先進的な考えが昔から定着していたことに、吹屋の特殊性を強く感じる。






    郷土館や旧片山家住宅を訪れるとわかるが、
    外観に比べて想像できないほど、奥行がある。
    そして、飾り金具や欄間、釘隠しや襖の引き手など、
    外装だけでなく内装も実に意匠が凝っている。
    これを見ると、吹屋の商家が、やはり豪商だったということがよくわかる。





    銅山は閉山され、ベンガラ産業は化学顔料の誕生により衰退し、
    「公害防止法」の制定に伴い生産が中止されると、
    吹屋の町は世間から忘れ去られたように、ひっそりとその姿を残していた。
    山奥という立地のお陰もあり、再開発などから逃れ、まるまる一区画が
    明治期そのままの姿をいまにとどめている。
    この場所は、歴史的な背景も踏まえて、
    世界文化遺産になってもおかしくないような場所に思える。
    むしろ、一部の世界遺産を凌駕しているようにすら感じられる。
    それほど、この町は素晴らしく、見ごたえがあり、訪問する価値がある。






    私は予備知識もなしに吹屋を訪れたが、運よく当日に「吹屋ベンガラ灯り」が行われていた。
    道に並んだ灯篭に灯が灯ると、吹屋の町はより一層幻想的になる。その風景の中、
    情緒ある吹屋小唄に合わせベンガラ染めの着物をまとった男女が舞踊を披露する。







    この祭りはさも昔から行われているかのような風情が感じられたが、実は今年(2015年)が4回目とのこと。
    吹屋小唄の歌が作られてから、それに女の踊りが加わり、次に男の踊りが加わり、
    と徐々に発展してきて、それとともに祭りの賑わいも年々増してきているようだ。









    伝統的な文化を引き継ぐだけでなく、新たに伝統になるものを創出する。
    あたかも伝統とは受け継がれる一方のものかと思えるが、そんな既成概念を壊し、
    こんなこともできるのか、と驚きとともに称賛せずにはいられない、
    そんな素晴らしい祭りだった。






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