1703年、ロシア近代化の要として、ヨーロッパへの窓口として、 ピョートル大帝が創設を開始した美しい水の都。 それまで、そこは何もない沼沢地だった。 氾濫する河川、過酷な使役と疫病の蔓延や飢えの苦しみ、 劣悪な環境の中、開拓が敢行され、完成には多大な犠牲を払った。 その後も啓蒙君主のエカテリーナ2世により 文化・芸術の都となったこの土地は、 ここ300年で築かれたとは俄かに信じ難い。
・カザン聖堂(地図E) エカテリーナ2世の息子パーヴェル1世は、性格異常者だったと言われる。母親の愛を知らずに育った彼は、終生エカテリーナを憎んだ。 そんな彼が建設を命じたのは、 「バチカンのサン・ピエトロ聖堂のような」教会だった。 それゆえ、この聖堂はロシア正教らしくない外観をしていて、 横に広がりを見せる聖堂は創玄な雰囲気を漂わせる。 建設された時勢がちょうどナポレオン戦争だったため、 内部には戦争に関する記念品が展示されている。
夕方のカザン聖堂。ライトアップされた姿がまた美しい。
芸術広場とロシア美術館 血の上の教会の近くにある広場と美術館。 四方が芸術に関する建物に囲まれていることから、芸術広場と呼ばれる。 写真右手の像は、ロシアの偉大な詩人、プーシキン。 左手奥の建物は、ロシア美術館。 ロシアの歴代の美術史が集約された美術館で、 イコン画から写実画から近年の前衛画家の作品まで、 充実した展示が見られる。 ・文学喫茶 プーシキン繋がりで、忘れてはならないのがここ。 プーシキンが決闘の前に立ち寄ったといわれ、 さらに、かのゴーゴリやドストエフスキーも常連だったと 言われるカフェがいまでも残っている。 入り口の席には写真のように人形のプーシキンが座っていて、 外から見ると本物の人かと思ってしまう。 私が訪れた時は、店内はがらがらだったのに ピアノの生演奏が聴けたため、非常にいい雰囲気だった。