サンクト・ペテルブルグの旅


                      1703年、ロシア近代化の要として、ヨーロッパへの窓口として、
                    ピョートル大帝が創設を開始した美しい水の都。
                    それまで、そこは何もない沼沢地だった。
                    氾濫する河川、過酷な使役と疫病の蔓延や飢えの苦しみ、
                    劣悪な環境の中、開拓が敢行され、完成には多大な犠牲を払った。
                    その後も啓蒙君主のエカテリーナ2世により
                    文化・芸術の都となったこの土地は、
                    ここ300年で築かれたとは俄かに信じ難い。





サンクト・ペテルブルグ ネフスキー通り 周辺
  • ネフスキー大通り
      ・オトロフスキー広場とエカテリーナ2世像
      ・カザン聖堂
      ・血の上の教会
      ・芸術広場とロシア美術館
      ・文学喫茶

  • 宮殿広場とその周辺
      ・宮殿広場とエルミタージュ
      ・ネヴァ川の眺望
      ・イサク聖堂

  • ツァールスコエ・セロー
      ・エカテリーナ宮殿
      ・大広間




  • ネフスキー大通りからの河川の眺望


  • 「ネフスキー大通りより立派なものは、
    少なくともペテルブルグには何ひとつない、
    この都にとって、この大通りは一切をなしているのだ。
    都の花ともいうべきこの通りに輝かしくない何があるだろう!」


    ゴーゴリの著書『ネフスキー大通り』はこの件ではじまる。
    この言葉は、ネフスキー大通りの外観を現している。
    現在のネフスキー通りも、この言葉のように華やかである。

    ペテルブルグには、モスクワから深夜列車を経由で行くと、
    地図中右下端(途切れていますが…)のモスクワ駅に着く。
    そこからネフスキー大通りの中心街へアクセスでき、
    エルミタージュ美術館のある宮殿広場まで
    徒歩で行くことも可能。(所要時間は一時間未満ぐらい)

  • オトロフスキー広場とエカテリーナ2世像
    ドイツの血が流れながらも熱心にロシアの理解に努め、
    啓蒙思想に心酔した類まれな理性人として、
    エカテリーナ2世は帝位に君臨した。
    ピョートル大帝を敬愛し、彼に習い後進国だったロシアを近代化。
    ロシアがヨーロッパ列強と肩を並べる力を持ったのも、
    彼女の治世からだった。
    そのエカテリーナの存在は、ペテルブルグの街にとっては
    まさにヒロインに相応しいといえる。
    そしてここは、その彼女の像が建つ唯一の場所である。


  • ・カザン聖堂(地図E)
    エカテリーナ2世の息子パーヴェル1世は、性格異常者だったと言われる。母親の愛を知らずに育った彼は、終生エカテリーナを憎んだ。
    そんな彼が建設を命じたのは、
    「バチカンのサン・ピエトロ聖堂のような」教会だった。
    それゆえ、この聖堂はロシア正教らしくない外観をしていて、
    横に広がりを見せる聖堂は創玄な雰囲気を漂わせる。
    建設された時勢がちょうどナポレオン戦争だったため、
    内部には戦争に関する記念品が展示されている。

    夕方のカザン聖堂。ライトアップされた姿がまた美しい。



  • 血の上の教会(地図@)
    モスクワの聖ワシリー聖堂を彷彿とさせる、純ロシア風建築の教会。
    その物騒な名前の背景には、19世紀後半に、皇帝アレクサンドル2世
    がこの場所で暗殺されたことにある。
  • 芸術広場とロシア美術館
    血の上の教会の近くにある広場と美術館。
    四方が芸術に関する建物に囲まれていることから、芸術広場と呼ばれる。
    写真右手の像は、ロシアの偉大な詩人、プーシキン。
    左手奥の建物は、ロシア美術館。
    ロシアの歴代の美術史が集約された美術館で、
    イコン画から写実画から近年の前衛画家の作品まで、
    充実した展示が見られる。


    ・文学喫茶
    プーシキン繋がりで、忘れてはならないのがここ。
    プーシキンが決闘の前に立ち寄ったといわれ、
    さらに、かのゴーゴリやドストエフスキーも常連だったと
    言われるカフェがいまでも残っている。
    入り口の席には写真のように人形のプーシキンが座っていて、
    外から見ると本物の人かと思ってしまう。
    私が訪れた時は、店内はがらがらだったのに
    ピアノの生演奏が聴けたため、非常にいい雰囲気だった。




  • 宮殿広場とエルミタージュ(地図D)
    ネフスキー大通りの終点まで歩くと、この広場に突き当たる。
    写真左手に見えるエルミタージュと旧参謀本部によって囲まれた、
    ペテルブルグを代表する広場。その中心に建つのは、
    ナポレオン戦争の勝利を記念して作られた、アレクサンドルの円柱。

    (エルミタージュ美術館については、
    それだけで膨大な展示のため、別途旅行記を作成予定。)


  • ネヴァ川の眺望
    エルミタージュはネヴァ川に沿って建ち、豪勢な美術品が立ち並ぶ建物の窓からも、この清清しい景色に臨むことができる。
    もしも訪れた季節が冬場でなかったら、ずっとこの場所でのんびりしていたいような、そんな場所だった。


  • イサク聖堂(地図B)
    エルミタージュから旧海軍省の方を運河沿いに歩くと、
    やがて開けた緑の広場が目に留まる。そしてその奥には、
    慄然と聳える巨大な聖堂が建っている。
    この清涼とした眺望は、特に素晴らしいものだった。


    イサク聖堂は、教会の中で世界最大級の大きさ(高さ101m)を誇る。
    建設が始まったのは1818年と比較的新しいが、
    湿地帯であるこの土地にこれだけの建築物を築くには、
    基礎固めだけでも大変な作業だったようだ。
    そんな建物だけあって、重厚で圧倒的な存在感である。


    建物が高い分、内部の空間も迫力が違う。


  • ツァールスコエ・セローは皇帝の村を意味し、ペテルブルグ中心部からは車で約三十分のところに位置する。

    地下鉄のモスコフスカヤ駅からマルシルートカ(小さなバスみたいなもの)で行くのが一般的なアクセスルート。マルシルートカはたくさんの行き先がひっきりなしに行き交っているため、何番に乗ればいいのか事前に調査が必要。
  • エカテリーナ宮殿
    エカテリーナ一世の時代に建設が開始され、その後の改装により
    現在のような絢爛豪華な宮殿に至った。
    しかし、現在の姿は、殆どが第二次大戦後に修復されたものである。
    ペテルブルグの街の多くの芸術的建築物は、ナチス進行の傷跡を
    あちこちに残している。
    そしてここは、戦後は廃墟と化すほど、荒れ果てていた。
    この美しい宮殿をも無残に破壊してしまう戦争とは、改めて恐ろしいと実感する。


    私は、夏のツァールスコエ・セローの姿を空想で思い描いて、ここを訪れた。
    ガイドブックで見る、青空の中に宮殿が凛と聳えるような、そんな姿である。

    しかし私が訪れた時は、寒さも厳しい、霧で覆われた宮殿だった。
    数十メートル先の視界も、霧でろくに見えない。
    これは残念な天候の時に訪れてしまった。

    だが、直ぐに気付いた。これはこれで、美しい光景であることに。
    そこは、不思議の国に迷い込んでしまったような幻想的な光景だった。



  • 外壁の青い塗装が印象的な、宮殿の入り口。


  • 大広間
    眩いばかりの金色。思わず目を細めてしまう、なんとも豪勢な広間。
    この他にも2003年に修復・再現された代表的な部屋、
    細緻な琥珀のパネルで埋め尽くされた「琥珀の間」も必見の、
    息を呑む美しい広間だが、残念ながら撮影は禁止されていた。




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