ローマ・
ヴァチカンの旅

ェリーニのローマを観た時に感じた、

現代ローマの猥雑さと、古代ローマから

脈々と引き継がれる誇り高い精神との同居。

その姿はいまも変わりない。






     ヴァチカン周辺
       ・サン・ピエトロ聖堂
       ・サンタンジェロ城



     コロッセオ





  • ーマを旅行したのは
    ベネチアフィレンツェと同時期で、
    ローマについても旅行記を書こうと思いながら
    躊躇していた。
    その理由は、街の持つ歴史や宗教が深遠のようで、
    浅はかな知識で触れても火傷をするだけだからだ。

    だから、あえてテーマを小さく絞って、
    自分なりの観点で見たローマの姿を書こうと思う。






  • トリックの総本山、
    サン・ピエトロ聖堂の建立にもまた
    重厚な歴史を感じる。
    あの場所には古代ローマ時代、
    悪名高い皇帝ネロの競技場があった。
    ネロによってここで磔刑にされたのが聖ペテロだった。
    「クオ・ヴァデイス」の物語は
    ここで展開される。




    ローマの大火による民衆の不満の矛先を
    キリスト教徒に向けたネロは、迫害を一層強める。
    迫害から逃れるために
    ローマを去ろうとした使徒ペテロは、
    途中、キリストの幻影にすれ違う。
    「主よ、何処へ」
    ペテロは問うた。
    キリストは再び十字架に架かろうと、
    ローマへ向かっていた。
    そこで己の行いを恥じたペテロは
    ローマに戻り、気高い決意の中、
    十字架に架かった。





  • サンタンジェロ城
    テヴェレ川を見下ろすように聳え立つ円形の古城。


    紀元後135年に建立された霊廟というのがまた、
    気の遠くなるような歳月を感じられる。
    ここは長い歴史の中で城塞ともなり、刑場ともなり、
    悲劇のヒロインで知られる
    ベアトリーチェ・チェンチが処刑されたのもこの場所である。



    この城からサン・ピエトロ聖堂まではかつて秘密とされた、
    有事の際にローマ法王が非難する城壁の通路がある。
    常に動乱の渦中にあったといえるローマでは、
    歴代の法王がこの城に逃げ込んで篭城することが度々あった。



    今回訪れたときにはその通路の一部が開放されていた。
    ライトアップされた城壁の小道。
    どこまでも延々と続くようにすら感じられ、
    気がついたときにはサン・ピエトロ聖堂の近くまで来ていた。



  • 和とは、覇権や勢力が均衡している状態、
    突出した権力が存在しない状態、
    恣意的な抑圧が少ない状態を指すであろう。
    また、言わば人が争いにより血を流さずに済む
    時代だとも言ってもいい。

    21世紀に入っても世界平和は訪れていないが、
    それでも倫理観は強固になり、
    基本的人権が遵守される国であれば、
    いついかなる時においても
    (戦争と死刑は除き)殺人が認められることはない。



    だから、
    公然と(しかも見世物として)殺人が行われたこのコロッセオという場所には、
    何か抑圧された人間の本能を垣間見るようで、
    恐ろしさを感じずにはいられない。



    もっとも剣闘士試合は、
    当初は故人を悼む生贄の儀式として行われたのが起源のようだ。

    ローマ帝政にも、パクス・ロマーナと呼ばれる
    安定した平和期があり、およそ
    200年は安定した覇権を掌握する時代がある。

    そんな平和期において、
    ここコロッセオで行われた剣闘士試合は
    民衆の絶大な支持があり、政治の道具とされた。
    次第に見世物の色合いが濃くなり、
    それにつれ、むしろ残酷性は増していった。

    紀元後間もなくの剣闘士試合では
    敗者の助命もあったようだが、
    それから百幾年後には、敗者の殆どが
    命を落とすことになったようだ。



    E.フロムのナチズムの学説のように、
    人にはサディズムとマゾヒズムの欲求があり、
    どちらかが著しく満たされない時に、
    その欲求の解消手段として蛮行を行ってしまうことがある。
    長く平和が続く、この時代の人々にとっても、
    安定した環境の中では満たされない欲求のはけ口を、
    このコロッセオに求めていたのかもしれない。




    啓蒙思想の哲学者ルソーも、
    剣闘士についてこんな言葉を残している。
    「共和政期においてはローマ人の勇気と徳を刺激したが、
    帝政期には流血と残虐とを好ませるだけになってしまった」


    平和であることに感謝をしなければならないと
    わかっていながら、時として気まぐれに
    動乱を求めてしまうという、自己矛盾を孕んだ生物。
    それが人間であり、その宿命から
    逃れることは、たとえ現代の人間であっても不可能だろう。
    だから我々は過去から教訓を学び取り、
    自制・自律して同じ過ちを繰り返さないように生きることしか
    できない。




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