Reference
                 そこはかとなく書き連ねば・・・

                   映画について言及


創作「ソクラテス」


創作「プロタゴラス」


人生における最強の戦略とは・・・
  • ゼロサムゲーム(ゼロサムゲーム=一方が勝てば他方が必ず負ける)における
    最強の戦略というのを、ご紹介します。

  • 回の話と重複しますが、以下のルールに従って、ゲームを行うとします。

    得点表は以下の通り。
    あなたと相手が「協調」または「裏切り」を選択。
     例えば両者が「協調」を選択した場合、両者とも3万円を獲得することができる。
     例えばあなたが「裏切り」を選択、相手が「協調」を選択した場合、あなただけ5万円を獲得することができる。
    このゲームを200回繰り返すこととして、総合金額をより多く得た方が勝ちとします。

     相手の戦略→

    あなたの戦略↓
      協調   裏切り

      協調

     あなた:3万円  相手:3万円    あなた:0万円  相手:5万円  

      裏切り

     あなた:5万円  相手:0万円   あなた:1万円  相手:1万円

    ・さらに、この200回のゲームを一試合として、それぞれの戦略を持った100人のプレイヤーが
    リーグ戦(総当たり戦)を行うこととします。
    ・すべてのプレイヤーのリーグ戦が終了した時点で、総合獲得金額の最も多かった者が、優勝します。
     (※リーグ戦の勝敗数は、優勝には関係ありません)

  • て、このルールでそれぞれ独自の戦略を持った100台のコンピュータが対戦し、
    必ず優勝を勝ち得たという脅威の戦略が、実は存在するのです。

    その戦略は「オウム返し」と呼ばれ、以下のような規則を持ちます。
    ・最初は「協調」を選択
    ・次回からは、前回の相手の戦略を真似する。

  • んと、たったこれだけの規則で、他のあらゆる戦略の総合獲得金額を上回り、優勝してしまったのです。
    中には、非常に緻密な戦略を持ったプレイヤーがいたにも関わらず、
    こんなに単純な規則性で打ち破ってしまったのです。

  • ただし、この「オウム返し」は、リーグ戦の勝敗では一勝もしていません。
    一勝もせずに、どの戦略に対しても僅差引き分け負けを繰り返し、
    結果的に総合獲得金額のみが、最高になったのです。
    つまり、非ゼロサムゲームでは最強であるが、ゼロサムゲームでは最弱なのです。

  • オウム返し」の特徴を人間的に表現すると、以下のようになります。
    ・最初は友好的であり、自分からは決して裏切ることがない。
    ・相手に裏切られたら、すぐさま制裁して裏切り返す。
    ・相手が謝ってきたら、即座に許す。
    お人よしであると同時に、シビアな側面も持った、明瞭な人物といえるわけです。

  • 生とは、局所的に見ればゼロサムゲームの集合体ではありますが、
    人生の勝敗そのものが一度で着いてしまうようなことは滅多にありえません。
    つまり、長期的な視野で見れば、非ゼロサムゲームに近いといえるでしょう。

    決して勝つことはないが、根気強く、負け続けながらも、お人よしを貫いた人物が、
    最終的に評価されるなんて、ちょっと愉快な話だと思いませんか?


裏切らなければならない宿命・・・
  • 人のジレンマ(前回を参照)を利用した戦略のお話です。

  • 以下のルールに従って、ゲームを行います。

    得点表は以下の通り。
    あなたと相手が「協調」または「裏切り」を選択。
     例えば両者が「協調」を選択した場合、両者とも3万円を獲得することができる。

    このゲームを200回繰り返すこととして、総合金額をより多く得た方が勝ちとします。

     相手の戦略→

    あなたの戦略↓
      協調   裏切り

      協調

     あなた:3万円  相手:3万円    あなた:0万円  相手:5万円  

      裏切り

     あなた:5万円  相手:0万円   あなた:1万円  相手:1万円

    さて、ナッシュ均衡としてもっとも合理的な戦略だった「裏切り」(前回では「自白」)を選択してみると
    どうでしょう。
    当然相手も「裏切り」を選択してくるため、もはや互いに牽制してそこから動けなくなります。
    すると、200回すべてを裏切らざるをえなくなる。
    両者の獲得金額は、1万円 × 200回 = 200万円。
    これなら、お互い初めから友好的にして、互いに「協調」を選択した方が、
    両者の獲得金額は、3万円 × 200回 = 600万円と、
    遥かによい結果を得られるわけです。

    こうしてみると、ナッシュ均衡も非合理な結果を生み出しているようにも感じられます。
    しかしながら、実はそうでもないのです。

    この勝負に意地でも勝ちたいとなると、200回すべてに「協調」戦略を
    採用するわけにはいかなくなる。
    すると、最後の最後で勝つためには、
    200回目に「裏切り」を選択する方が合理的となります。
    しかし、当然に相手も同じ手を打ってくることが考えられるから、
    こちらはその手よりも一足早く「裏切り」の手を打たなければ勝てない。
    しかし、当然に相手も一足早く裏切ろうと考えているから、
    199回目も両者が「裏切り」を選択することが考えられる。
    するとこちらはその手よりも一足早く・・・と繰り返すうちに、
    両者とも初めから「裏切り」を選択するしか手段がなくなるというわけです。


    協調」を選択しても相手からの「裏切り」に怯えねばならず、
    初めから「裏切り」をしてしまうと、以後も裏切り続けるしかない。
    なんとも虚しい命題ではありませんか・・・。

最善の選択は・・・
  • なたは相棒とふたりで犯罪を企てましたが、
    あえなく御用となってしまいました。

    あなたと相棒は別々の取調室で尋問を受け、
    検察からこんな提案を持ちかけられました。
  • 「お前だけが自白して、相棒が黙秘を続けるなら、お前をすぐに釈放してやる。」
  • 「お前だけが黙秘を続けて、相棒が自白したなら、お前は懲役10年だ。」
  • 「お前も相棒も黙秘を続けるなら、懲役3年だ。」
  • 「お前も相棒も自白したなら、懲役6年だ。」
  • 「お前の相棒にも、これとまったく同じ提案をしてある。」

    以上の提案をまとめると、下記の表になります。
     相棒の戦略→

    あなたの戦略↓
      黙秘   自白

      黙秘

    あなたと相棒は懲役3年 あなたは懲役10年 相棒は釈放

      自白

    あなたは釈放 相棒は懲役10年 あなたと相棒は懲役6年

    さて、ここであなたは、「黙秘」と「自白」のどちらの戦略を選択すべきでしょうか?

    当然、あなたは釈放されたいところ。ですから「自白」を選択したいところでしょうが、
    相棒も釈放を望んでいるに決まっている。つまり両者が自白を選択することになり、
    結果は懲役6年。これはあまり良い選択とはいえない。
    だからここは、相手も同じ事を考えていると踏んで、「黙秘」を選択すべきか。
    そうすれば、最善ではないが刑期は短くて済む。

    これがもっともらしい選択にも思えますが、実はこれは合理的な戦略ではないというのです。
    論理学の世界には、参加者が最も合理的な選択を行った末にもたらされる均衡点として、
    ナッシュ均衡」という概念があります。

    ッシュ均衡とは、
    自分が戦略を選択しても相手の出方次第で不利になることが互いにわかっているため、
    相手の出方をうかがった戦略を選択する手法です。
  • 相手の戦略が「黙秘」だった場合、
    あなたが「黙秘」を選択すると、あなたは懲役3年。
    あなたが「自白」を選択すると、あなたは釈放。
    結果が懲役3年と釈放だったら釈放の方がいいので、
    あなたは「自白」を選択します。

  • 相手の戦略が「自白」だった場合、
    あなたが「黙秘」を選択すると、あなたは懲役10年。
    あなたが「自白」を選択すると、あなたは懲役6年。
    結果が懲役10年と懲役6年だったら懲役6年の方がマシなので、
    あなたは「自白」を選択します。

    つまり、相手の出方が「黙秘」であっても「自白」であっても、
    あなたは「自白」を選択した方が、
    相手の戦略にかなった最善な選択を行うことが可能なのです。
    そして、これとまったく同様に相棒も「自白」をすることが最善となり、
    このふたりの選択が「ナッシュ均衡」となります。

    この話は、有名な論理学の「囚人のジレンマ」という命題です。

    ただし、もちろんのこと、
    この選択が両者にとって本当に最善であるとはいえず、
    現実的にはあまり当て嵌まりません。
    たとえばあなたが、相棒が義理堅く忠義を尽くす人物であると知っていた場合、
    相棒はほぼ確実に「黙秘」を続けると憶測できることもあるでしょう。
    そしてあなたは苦悩しなければならない。

    機械的な意思決定なんて、楽なものですね・・・


アメリカンドリームの功罪
  • ュルケムの「自殺論」によるところ、
    人間の欲求は底なしの深淵であり、外部からの抑制なしには、
    感性そのものはおよそ苦悩の源泉である。
    満たされない欲求は病的性質の兆候であり、
    アノミー(欲求の肥大化)は一向に和らげられず、
    やみ難き渇きが常に新たに襲ってくる責め苦である。

    なお彼は、突然の好景気からも自殺者が増加したという調査結果から、
    「人間の欲望を規制していた社会的規範力が失われたときに
     急性の病理が発生する」
    と述べている。
    つまり、広範すぎる自由とは人間にとって危険であり、
    ある程度は規制・拘束された方が、
    多くの人にとっては生き易い世の中であると言うこともできる。

    ートンはこのアノミー論を、アメリカ社会に当然のように根付く
    社会規範、アメリカンドリームにも適用した。

    メリカ社会を生きるものの誰しもが抱くであろう、アメリカンドリームという大志。
    それはあまりに当然のもとしてそこに根付く、疑いようのない社会規範である。
    しかしアメリカの下層の人々が直面する現実は、矛盾に満ちたものだった。
    制度上、その機会をほとんど否定される現実。
    実際にアメリカンドリームを手にするものたちは、
    一部の特権的な身分のものに限られていて、
    努力では抗いようのない壁がそこに横たわっている。
    そんな構造上の矛盾を痛感し、望みが閉ざされ、
    自身の可能性が狭められた場合、
    道徳遵守による失敗よりも、それを破る行為の方が勝利を占めることを、
    アル・カポネ(ギャングの首領)が身をもって示している。
    これにより、「大望」という美徳が
    実際には「逸脱的行動」という悪徳を促しているという。
    つまり、アメリカンドリームという価値観を強制する社会の体制により、
    人々に心理的葛藤を生じさせ、その歪みが逸脱行動の誘引になってしまっているのだ。

    マートンによると、そういった逸脱行動を取る犯罪者が異常なのではなく、
    矛盾あるシステムを強要する社会こそが異常であるというのである。

    このマートンの論考は、なにもアメリカンドリームのみに当て嵌まるものではなく、
    我々の日常にも同様の価値観が渦巻いていると思える。
    なにか異常な事件が起こった際に、
    目を向けるべきは逸脱行動を起こした特定の個人ではなく、
    いま足元にある社会を冷静に見つめなおすべきなのかもしれない。


マルクス主義について・・・
  • 会主義国ソ連の崩壊によって、
    計画経済の欠陥が浮き彫りになったと思える今日。

    しかし、そもそも共産主義を大成させたマルクスが想定していた世界と
    現実に進行した姿は、大きくかけ離れたものだった。

    マルクスによると資本主義は、消費者の需要に応じるものではなく、
    新製品の乱開発により需要を不断に増殖させるものだという。
    市場は絶え間なく膨張し、企業間競争は激化する。
    その結果、生産性の上昇・流通の整備により物質的に豊かな社会は誕生するが、
    市場は常に流動的でさらに熾烈化し、経営効率追求のためには
    労働者の雇用・労働条件が犠牲になり、酷使される。
    すると支配者(ブルジョワジー)と労働者(プロレタリアート)の
    分離がいっそうに進み、その社会的亀裂(=階級)が、闘争を生み出す。
    マルクスは、資本主義が進行した社会の中で、かつての市民革命と同様に、
    プロレタリアートが社会主義革命を起こすことを想定していたようだ。


    かし現実は、そうはならなかった。
    特に、日本の三種の神器である終身雇用と年功序列、企業別労働組合の特徴に、
    それはよく示されている。
    企業別労働組合の場合、組合員も経営者も、属する企業の運命共同体となるうえ、
    労働組合員である労働者も、年功序列によっていずれは管理職に成り上がるため、
    結果的に労働者と経営者が同じ利益を追求することになった。
    つまり「労使協調路線」となり、現実に階級闘争が激化するところは見られなかった。
    マルクスはホワイトカラーと言われる存在の出現までも、
    予期することはできなかったともいえるのだろう。

    けれど、格差社会化が進行する現在において、
    形式は違えど社会が二分化する現象は進行しているように思える。
    マルクスが予期した社会の到来が、これから先も必ずしも起こりえないとは、
    言い切れないような気がしてならない。


    性な革命というものは、いつも社会に歪みを残し、
    その反動に恐ろしい出来事が繰り返されている。
    フランス革命期の混乱を目の当たりにした
    コントは、「秩序と進歩」という言葉を残している。
    もしも今後、社会が激変する時代が訪れるとしても、
    その言葉を忘れないようにしなければならない。


多数派の洗脳
  • 立した個人が自分自身の感覚を疑うようになり、
    目立たないために多数派の意見を受け入れる。
    「自分の独立を断念し、
    感覚を捨てても集団に一致して
    生きる心地よさを選ぶ意思、
    これこそまさしく
    デマゴーク(扇動政治家)たちのえじきである」
    これはポール・ヴァツラヴィックの「多数派の洗脳」の一節。

    方で、
    我々はいつも、
    自分の容姿や服装がおかしくないか、
    自分の言動が不自然ではないか、などなど
    自分がどんな姿をしているのかを
    日常的に周囲の人たちの反応から推測し、
    他者の反応から推測される自分の姿を見ている。
    アメリカのクーリーという学者はこれを
    「鏡に映った自我」と呼んだ。
    つまり、自我とは結局のところ、
    社会的規範によって獲得されるものだという。


    「鏡に映った自我」が実態であるのなら、
    そもそも人は孤立を避けなければ、
    自我そのものの獲得も危ぶまれることになってしまう。
    そう考えると「多数派の洗脳」という恐ろしい暗示も、
    やむをえないことのような気がしてしまう。


蟻と仕事について
  • といえば、いつもせっせとえさを運んでいるような、
    働き者というイメージがあります。

    しかし、研究機関の発表によると、全体の1,2割の
    蟻が、働かないでじっとしていたり、
    巣の中をうろうろしたり、自分の体をなめて掃除したり
    しているばかりだったようです。

    そこで研究者は、この働かない蟻がいなくなれば、
    全体の仕事の効率があがると考え、
    働かない蟻を巣の中から排除してみたところ、
    逆に蟻全体の仕事の効率が低下してしまったそうです。

    しかも、しばらくすると、また働かない蟻が1、2割生成され、
    もとの状態に戻りました。


    た、蟻の中にも効率のいい蟻と、効率の悪い蟻がいます。
    効率のいい蟻は、目的の餌まで一直線に向かい、
    せっせと餌を持ち帰ってきます。
    一方、効率の悪い蟻は、あちこちをうろうろしながら
    目的の餌にありつきます。
    一見するとこの効率の悪い蟻はあまり役に立たないように
    見受けられます。
    しかし、効率のいい蟻は目的の餌に一直線なあまり、
    周囲のものに目がいきません。
    他方、効率の悪い蟻はあちこちを寄り道するおかげで、
    新たな餌を発見することが多いらしいのです。

    このように、蟻にも個々の役割や能力(特徴)があり、
    それぞれが相互作用してひとつの巣を作り上げています。

    一見すると人間社会とは無関係に思えるものも、
    こんな風に親近感を覚える見方ができるものです。
    蟻のひとつをとっても、学べるものがたくさんありますね。


F尺度とナチズム
  • .フロムの学説によると、
    第二次大戦前のドイツは
    ワイマール憲法の導入による急激な民主化が、
    それまでの帝国主義の伝統的な社会的性格と不一致になった。

    その結果、人々は唐突に強力な君主の統治から解放され、
    マゾヒズムへの欲求が肥大化。
    さらに多額の賠償保障、世界恐慌から金銭は無価値になり、
    仕事人(市民)の権力は失墜、
    サディズムへの欲求も肥大化した。

    それらの欲求の肥大化が、
    社会的な権威主義的性格
    (つまりはファシズムの土壌)を生み出し、
    満たされぬマゾヒズムが独裁者の誕生を許諾し、
    サディズムが民族迫害を助長させたという。
    (実際はプロテスタンティズムの倫理も絡んできますが)

    して、その権威主義的性格を計測する手段として、
    T.W.アドルノという学者が実際に行った、
    F尺度というものが存在します。
    それは、以下のような質問文。

    次のような意見について、あなたはそう思いますか、
    それともそうは思いませんか。
    ・伝統や習慣に従ったやり方に疑問を持つ人は、
    結局は問題を引き起こすことになる。
    ・この複雑な世の中で何をなすべきかを知る一番良い方法は、
    指導者や専門家に頼ることである。

    さて、この調査によると、
    近代のアメリカにおいても権威主義的性格が広く浸透しており、
    ファシズムへの土壌があると言われます。
    つまりは、ナチズムの誕生も、
    そう特殊性のあるものでもなかったと
    言い換えることもできるのです。

    格差問題や高齢化問題や法改正を迎える我が日本においても、
    必ずしも無関係な問題とはいえないでしょう。
    …そんな気がします。


嘘の嘘はほんと
  • なたは予期せずにあの世に来てしまいました。
    ところが、神様も閻魔様も忙しくて、相手にしてくれません。

    そんなあなたの前には、ふたつの道が開けています。
    どうやら、ひとつは天国への道、
    もうひとつは地獄への道のようです。
    見ただけでは区別もつかないし、
    一度進んだら引き返すこともできません。

    あなたは悩んでいると、そこへ
    正直者の天使と、必ず嘘をつく悪魔が現れました。
    このふたり、一卵性双生児らしくて、
    見た目も声もまったく同じです。

    さて、あなたはどうにかして天国への道を選びたい。
    このふたりから正しい道を聞き出すには、
    どんな質問をすればいいでしょうか。

    -----------答え-------------

    「あなたは、『天国は右ですか?』という質問に
    『はい』と答えますか?」
    と聞けばいいのです。

    正直者の天使の場合、
    ・天国が右の場合『はい』と答えるから、
     質問には『はい』と答える。
    ・天国が左の場合『いいえ』と答えるから、
     質問には『いいえ』と答える。

    嘘つき悪魔の場合、
    ・天国が右の場合『いいえ』と答えるから、
     嘘を重ねて質問には『はい』と答える。
    ・天国が左の場合『はい』と答えるから、
     嘘を重ねて質問には『いいえ』と答える。

    これであなたも、めでたく天国へ行けますね。
    ヨカッタ、ヨカッタ。

    (これは有名な論理学の問題らしいです。)


オッカムの剃刀
  • かを説明しようとする時に、最善とされる方法。

    それは、単純さの原理。更なる複雑さを導入せずに
    何かを十分に説明できるなら、
    単純な説明が最善の説明である。
    「必要以上に存在者を増やすな」
    というのが一般的によく言われるらしい。

    これはおそらく、
    現在の論理学の基礎にあたる論考なんだと思う。
    ちょっと、心がけてみよう。


功利の原則
  • 楽の徴(しるし)は常にこれ
    強・長・確・速・豊・純ぞ、
    自分目当ての快ならば。
    公的ならば、その快を
    多数の人に及ぼせよ
    汝の苦とみるものは避け、
    避け難き苦は少人数に。


    これはベンサムという人が提唱した、
    快苦の測定の理論。
    「あらゆる行為の是非は、
    それがひとの幸福を増進するか
    否かによって判断されるべきである」
    というのが功利主義であり、
    これは後の経済学の効用値の概念の大本になる。

    でもベンサムの時代には、
    ドストエフスキーが居なかった。
    つまり、気づいていなかったのだ。
    自虐こそが快楽であり、
    苦役の中にも快楽が潜むということが。


アノミー的自殺
  • 制限の自由を与えられて
    無限の可能性と欲望を抱いた人々が、
    自己実現の欲求に駆られても
    際限なく肥大する欲求や高望みに対処しきれなくなって
    実現できない自己に対する焦燥と失望から
    自殺してしまうことを言うらしい。

    これは社会学者デュルケムという人が
    考えた理論。

    現代の自殺の類型でもこれがもろに当てはまり、
    自分自身にだって当てはまる深刻な問題な気がする。
    この問題を解決するには、中間集団が必要だといいます。

    でも中間集団ってなんでしょう。
    無制限の自由に制限を課すっていう意味では、
    ジャンル分けなんかもそれにあたるのかな。


妻子共有・・・
  • ラトンの哲人王思想に妻子共有っていうのがあります。

    紀元前の話なのに男女完全平等を主張していて、
    みんなで妻を共有すれば、
    生まれた子は誰の子かわからないから、
    みんなでみんなの子を大事にしなければならない。
    だから、血族や他人といった理由で差別されない。
    ゆえに、『自分』と『他人』の区別もなくなる。

    すごい発想だ…。
    しかもある意味で先進的。



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