- デュルケムの「自殺論」によるところ、
人間の欲求は底なしの深淵であり、外部からの抑制なしには、
感性そのものはおよそ苦悩の源泉である。
満たされない欲求は病的性質の兆候であり、
アノミー(欲求の肥大化)は一向に和らげられず、
やみ難き渇きが常に新たに襲ってくる責め苦である。
なお彼は、突然の好景気からも自殺者が増加したという調査結果から、
「人間の欲望を規制していた社会的規範力が失われたときに
急性の病理が発生する」
と述べている。
つまり、広範すぎる自由とは人間にとって危険であり、
ある程度は規制・拘束された方が、
多くの人にとっては生き易い世の中であると言うこともできる。
マートンはこのアノミー論を、アメリカ社会に当然のように根付く
社会規範、アメリカンドリームにも適用した。
アメリカ社会を生きるものの誰しもが抱くであろう、アメリカンドリームという大志。
それはあまりに当然のもとしてそこに根付く、疑いようのない社会規範である。
しかしアメリカの下層の人々が直面する現実は、矛盾に満ちたものだった。
制度上、その機会をほとんど否定される現実。
実際にアメリカンドリームを手にするものたちは、
一部の特権的な身分のものに限られていて、
努力では抗いようのない壁がそこに横たわっている。
そんな構造上の矛盾を痛感し、望みが閉ざされ、
自身の可能性が狭められた場合、
道徳遵守による失敗よりも、それを破る行為の方が勝利を占めることを、
アル・カポネ(ギャングの首領)が身をもって示している。
これにより、「大望」という美徳が
実際には「逸脱的行動」という悪徳を促しているという。
つまり、アメリカンドリームという価値観を強制する社会の体制により、
人々に心理的葛藤を生じさせ、その歪みが逸脱行動の誘引になってしまっているのだ。
マートンによると、そういった逸脱行動を取る犯罪者が異常なのではなく、
矛盾あるシステムを強要する社会こそが異常であるというのである。
このマートンの論考は、なにもアメリカンドリームのみに当て嵌まるものではなく、
我々の日常にも同様の価値観が渦巻いていると思える。
なにか異常な事件が起こった際に、
目を向けるべきは逸脱行動を起こした特定の個人ではなく、
いま足元にある社会を冷静に見つめなおすべきなのかもしれない。
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