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倉敷
のペーパークラフト

/旅とクラフト



  主に、旅先で手に入れた、旅先ゆかりの模型などを紹介します。
  また、街並みや景観を再現したペーパークラフトを制作、公開します。



倉敷のペーパークラフト




  • 倉敷



    ある街が衰退し、滅亡の危機に瀕した時に、
    その土地出身の実業家が「郷土報恩」の精神から、
    私財をなげうって復興を支援する。

    江戸時代以降の急激な時代の変化についていけない
    日本の地方都市では、たびたび
    そのようなエピソードを耳にする。

    そしてここ、倉敷も、この街を救った人物たちがいる。
    大原一族がそれにあたる。

    江戸時代には天領として栄えていた倉敷。
    代官所が建ったことから年貢米の集積地となり、
    商業都市として発展する。



    明治維新後、政治や都市の役割も
    がらりと変わり、倉敷には目立った産業がなくなってしまう。
    人口は減り、街は衰退していた。
    そのころ、明治政府は殖産興業を奨励しており、
    倉敷も遅れながら、紡績業による町おこしを計画した。
    倉敷は紡績会社を興し、
    そこで社長になったのが、大地主で綿取引も行っていた
    大原孝四郎であった。
    孝四郎氏は健全な経営を進め、また公益思想が根底にあり、
    「村のため、世間のためになるなら」と職務に努めたという。



    そして次に、現在の倉敷の文化の礎を築いた人物として
    大原孫三郎の名があがる。
    孫三郎氏の青年期のエピソードは、特に感化するものがある。

    孫三郎は資産家の息子として、岡山藩の藩校で庇護され
    何不自由なく学んでいたが、ある時、それを妬む同級生から
    (いまでいう)手酷いいじめを受ける。
    もともと藩校での生活に倦怠を感じていた彼にはそれが契機となり、
    東京へ進学することを決めた。

    現在の早稲田大学に入学したが、資産家の息子ということで
    持て囃され、悪友たちが彼を集り、やがて花街での豪遊三昧が始まる。
    そして、気付いた時には高利貸しからの借金が
    現在の1億円以上にも及び、高利貸しに付き纏われたことから
    孫三郎は逃げるように帰郷する。
    父、孝四郎の采配により、孫三郎は謹慎の身となり、
    義兄を借金処理に充てさせる。
    この義兄は中国での紡績業の展開を企画するなど優秀な人物であったが、
    この債務処理で忙殺しているさなか、脳卒中を起こして急死してしまった。
    孫三郎にとって、これが決定打となった。
    自分のこれまでの行いを激しく悔い、改めた。



    また、この時期に思想として
    二宮尊徳の社会奉仕の思想やキリスト今日の博愛精神などの
    影響を受け、孫三郎の進むべき道は定まったように思える。
    「天職のために財産を遣い尽くす」という使命で、
    孤児院への援助や労働者の教育をはじめ、
    社会福祉事業を展開させつつ、
    先見の明を持って銀行・電力といった新しい事業を行い、
    発展させていった。
    そして、日本初の西洋美術館、
    大原美術館の建設、また柳宗悦の民藝運動への支援といった
    日本の文化への功績も残したのは、その旺盛な活動力に
    感嘆せずにはいられない。

    倉敷は時代の局面で何度か危機を迎えるが、
    孫三郎の采配により、乗り越えた。

    そんな偉人たちにより倉敷の街は護られ、
    いまの美しい街並みが残る。


  • 倉敷らしい景観として、元は市役所だった倉敷館界隈の景観を
    小さなミニチュアとして再現しました。


    かつてはこの建物も荒廃していたそうですが、いまは倉敷の観光拠点として
    親しまれる空間です。


    倉敷川沿いの柳の景観を再現しています。







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