ショップを開設しました。ペーパークラフトを販売しています。
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太宰治の生家
斜陽館の
ペーパークラフト
/旅とクラフト
主に、旅先で手に入れた、旅先ゆかりの模型などを紹介します。
また、街並みや景観を再現したペーパークラフトを制作、公開します。
斜陽館のペーパークラフト
太宰治の生家 斜陽館
五能線、五所川原から津軽鉄道に乗換え、
金木駅で下車すると、そこは
太宰治の故郷
。
太宰治の資料館として残る、「斜陽館」。
この旧津島家住宅を建てたのは、堀江佐吉。
いまも洋館が残る弘前の中でも代表的な建物、
旧弘前市立図書館を建てた名大工である。
この豪邸を、太宰はこう表現している。
「この父は、ひどく大きい家を建てた。
風情も何もない、ただ大きいのである。
間数が三十ちかくもあるであろう。
それも十畳二十畳という部屋が多い。
おそろしく頑丈な作りの家ではあるが、
しかし、何の趣もない。」
貴族院に出た父、着々と出世する兄。
代々模範的な優等生の家系の中で、
はみ出しものだと自覚していた太宰。
津島家に対してコンプレックスを抱いていた
彼は、読者に対する立場上、
このように表現するしかなかったように思える。
太宰は事実上、津島家から勘当されていたが、
自殺未遂を起こした際、後始末をつけたのは
兄の文治だった。
弟、修治は兄、文治に引け目を感じつつも、
頭が上がらなかった。
文治がこの家を継いで、
太宰にはいよいよこの生家が疎遠に思えたことだろうことは、
小説からも読み取れる。
戦後、GHQの制度により大地主は解体、
津島家も例外ではなく没落し、
津島文治から手放された邸宅は、
その後、旅館「斜陽館」となり、
その経営が悪化すると、金木町が
買い取って現在の記念館に至る。
実際、斜陽館はもと銀行店舗にあたる
洋風建築部分と、居住部の和室が組み合わさった
和洋折衷建築であり、たとえ太宰の生家でなくても
かつての豪邸として見所がある。
今回は太宰治の生家、現「斜陽館」をペーパークラフトにしました。
さすが津軽屈指の富豪の豪邸だけあって、実物の敷地面積はもっと大きいです。
ミニチュアでは、ポストカードサイズに収まる範囲内に縮小して表現しています。
独特の塀、手入れされた庭、赤い屋根瓦。金木町のこの界隈だけ、
太宰治の幼少期の時とあまり変わっていない空間が残っています。
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