「旅とクラフト」
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ショップを開設しました。ペーパークラフトを販売しています。

東急ハンズWEBショップ「Hands Gallery Market」でもオリジナル・ペーパークラフトを取り扱い中



軍艦島

ペーパークラフト

/旅とクラフト



  主に、旅先で手に入れた、旅先ゆかりの模型などを紹介します。
  また、街並みや景観を再現したペーパークラフトを制作、公開します。



軍艦島のペーパークラフト




  • 軍艦島

    軍艦島については、
    以前の旅とクラフトでも触れているため、
    今回はマクロな観点で触れることとする。



    産業革命期以降は世界の主力エネルギーとして
    活躍していた石炭。
    この石炭をめぐり全国各地に多数の鉱山や炭坑、
    その労働者が暮らす都市が作られた。


    石炭そのものは2000年も前から使用されていたが、
    その存在が脚光を浴びたのは18世紀に入ってから。
    それまでの製鉄は木炭を用いた少数生産で事足りていたが、
    革命による鉄需要の急増とともに量産が必要になり、
    世界的に石炭の需要が高まった。



    以来、各地に炭鉱が造られ、
    安全衛生面での整備も追いつかないまま、
    いわば無法地帯に近い状態で
    「黒いダイヤ」の乱獲が行われるようになった。
    そんな状況下での事故は無数に起こり、
    犠牲になった人々も数知れずにいた。

    次第に合理化や機械化が進むと、
    (石炭は輸送コストが高いため)
    鉱山付近に加工工場などを集約化し、
    それに関わる労働者の住居や公共施設も作られ、
    大規模鉱山などは一大都市となり始める。
    こうして、軍艦島のように
    石炭という一次産業のみで成り立つ都市が
    各地に形成された。

    産業の進展はめまぐるしく、
    かつての主流はあっという間に退れてしまう。
    これが産業の怖さであり、
    これからもそうあり続けるだろう。



    主力エネルギーの石油への転換、
    またコストの安い輸入石炭の台頭により、
    国内の石炭業は次第に斜陽産業となっていく。
    大規模な炭鉱を保護する政策、
    「スクラップ・アンド・ビルド政策」を行うも、
    採算の合わない経営は困難になり、
    日本でも1960年の三井三池争議(炭鉱労働者の
    大量リストラによる労働争議)を境に、
    衰退の一途をたどった。

    軍艦島は1960年ごろに人口が最大の5000人弱
    になっていたが、その時はすでに
    そのような状況下だった。
    1970年代には殆どの大規模炭鉱も閉鎖されるようになり、
    軍艦島も例外ではなかった。
    中には、二次産業や他の産業に方針転換をして
    生き残った都市もあった。だが、軍艦島のように
    それしかない都市はひとたまりもない。
    大規模炭鉱の生活者は一斉に住居を離れることになり、
    跡には、まるで一夜にして人が消滅してしまった都市のように、
    物悲しく取り残された建物のみが残ることとなった。


  • 炭鉱の島、端島こと軍艦島の姿をペーパークラフトで
    再現してみました。



    長崎湾から出向する観光船は、必ずこの風景を周遊するでしょう。
    そして、船上で眺めるその圧倒的な姿は、心に焼きつきます。



    縮尺と配置の都合上、建物の配置は現物とは異なりますが、
    犇めき合う建物の密集する雰囲気や、重厚な外壁も再現しています。










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