Reference
Movie
映画についての言及
- それまで家族のため、生活のために
漠然と働きつづけてきたしがない公務員が、
ある時、余命宣告を受けたことにより、生に目覚める。
この映画の筋書きは至ってシンプルであり、
もはや現代ではありきたりとすらいえるような展開である。
それだけに、この作品がいまだ名画として君臨し続けているのには、
別の理由がある。
演技とは元来、自分以外のまったく異なる対象になりすますことであって、
演ずる対象に合わせ、時に没個性的にすらならなければならない。
これが大前提と思いたいところだが、
最近では役者が人物を演じるというより、
人物が役者に合わせたような映画が多いゆえに、
この至極当たり前のことを問いただしたくなってくる。
この映画の主役は、演技の鑑のように思える。
じれったくなる程のどもりと、退屈と紙一重の絶妙な間の取り方。
言葉少なで地味な存在であるはずの主人公に
ただ表情や動作のみで独特の迫力と緊迫感を与えている。
美しい夕焼けに感動することも、人を恨むことも、
「私にはそんな暇はない」と退ける主人公は、
はじめて自分のために生き、満足して死んでいった。
もともとロシア文学の影響が色濃い黒澤監督ではあるが、
そこにはゲーテの「ファウスト」を彷彿させる節も感じ取れる。
- 「総統、私は歩けます!」
キューバ危機から米ソ間の緊張が一気に高まり、
現実に核戦争の危機が迫った時勢に、この映画は作られた。
この恐怖で震撼する事実を
強烈な皮肉を持って苦い笑いに変えてしまった映画がこれである。
この映画を観て、不謹慎だと感じる人も居るだろう。
確かに、行き過ぎた描写が多々ある。
しかし、核戦争に人一倍の危機感を抱いていたのは
ほかならぬキューブリック監督自身だったのかもしれない。
キューバ危機が起こった当時、核戦争に警笛を鳴らす作品は
この映画以外にもたくさんあった。
しかし、どの作品も文字通り”笑えない”のである。
深刻すぎる事象からは目を背けたくなるのも人間の心理というもの。
核戦争という重々しいテーマを多くの人に受容させることは難しかった。
そこでキューブリックは敢えて作品をブラック・ユーモアに仕立てたという。
これにより、人々は笑いながらも核戦争に対する危機感を募らせずにはいられなかった。
そういう時代背景を考慮せずに、この作品を評価することはできない。
この映画の醍醐味は、やはり一人三役を演じた
ピーター・セラーズだろう。
マンドレーク大佐、大統領、ナチ狂博士と、
まったく個性も癖も異なった役柄を演じきり、
ただ漠然と映画を観ると気付きもしないほどに自然である。
特に博士の変質的な癖は、何度観ても笑わずにはいられない。
- 「チャレンジしたぜ、努力した。」
この作品は、この言葉で集約されると思う。
マクマーフィーの挑戦を、最後にチーフが実現させた。
それが重苦しいラストの、唯一の救いである。
マクマーフィーは精神病棟に居残る連中を、「シャバにいる連中と変わらない」と言っていた。
婦長の権威のもと、自発的に留まり服従を続ける患者たち。
マクマーフィーの勇気に憧れながらも、心底では自分たちが変われないことを悟って諦めている。
そして、勇気ある異端児は大きな力により抹殺されてしまった。
しかしながら、婦長はただ職務に忠実で生真面目過ぎただけで"悪"とは呼べず、
あまりに自由奔放すぎたマクマーフィーを全肯定することもできない。
それも、この作品の難しいところである。
これは精神病棟の話だが、現実の縮図が極端に描写された世界であるともいえる。
ちなみに撮影は実際に精神病棟を貸しきって行われた。
役者たちも実地で現場を学びながら演じたため、
多くの患者たちの姿もリアルで個性的な役柄が演じられている。
この映画の醍醐味は、やはりジャック・ニコルソンの躍動的な演技である。
競演者は、ジャック・ニコルソンは劇中のマクマーフィーそのままに、
生き生きした快活な人物だと証言している。
この痛快な笑い方。観ているだけでも愉快な気分になってくる。

- 「私は自由でありたい。不可能の中に、幸福を探す自由がある。真実の中に生きたいのだ。」
若きルートヴィヒ王のあまりの幼い考え方に、戦場から戻ってきたばかりの大佐が
教え諭すようにこう言った。
「人間は、たとえあなたでも人間としての義務と限界を重んじて生きるべきものです。
若者がささやかな現実の中に、自分の存在の意味を求められずにいられますか?
質素で平凡な現実を受け入れるには、大変な勇気が要るものなのです。」
ルートヴィヒは人生に対して真摯だった。真摯ゆえに、深刻だった。
志し高く、芸術を崇拝することで偉大なことを成し遂げようと試みる。
ワーグナーへの惜しみない支援、
ノイシュヴァンシュタイン城に代表される美しい城の建築。
芸術的な活動に莫大な資本を投下した。

「私にとってこの戦争は存在しない。将軍たちに尋ねられたら、こう答えるがいい。
”王は戦争を知らない”と。」
プロシア戦争の最中も現実の喧騒から逃避し、芸術の中に逃げ込む彼の姿から、
後の人々にメルヘン王と呼ばれるようになった。
しかし、ルートヴィヒは一向に満たされることがなかった。
国費を浪費するだけの彼は孤立し、求めた人には裏切られた。
人間不信に陥り、孤独の淵に追いやられた彼は最後、謎の死を遂げる。
「私は謎のままでいたいのだ。自分自身にとっても…」

18歳から40歳までのルートヴィヒ2世を熱演したヘルムート・バーガー。
ヴィスコンティ監督に役者として溺愛され、彼自身もヴィスコンティを崇拝する。
このルートヴィヒという作品は、彼を最大限に輝かせるために存在した映画であったといえると思う。
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